わ便り

60歳からの愉快なキャリアチェンジを目指すおやじのリアルな日常を発信

あなたの物語を聴きたい

 

 

前回(8月17日)の投稿では、『 Wの時代 』とのテーマで、自分の中にあるWHY(なぜ)にもっと丁寧に着目してみたい、そうしましょうとのお話を書かせていただきました。

 

『 もっと私たちは「 WHY:なぜ 」に注目し、光を当ててあげて欲しいのです。そう、「 WHY 」は5Wの中で一番じゃなきゃダメなんです!(五番目だなんて・・)』。

 

・・・こんな思いを抱いているという話でしたね。

 

今回は、前回と同様に私が抱いている思いを別の角度から書いてみます。

 

■ 何だかしっくりこない・・・ 

「 何か、しっくりこーへんねんけど(何だか、しっくりこないのだけど)・・・ 」。(ちなみに「 こーへん 」は「 けーへん 」とほぼ同義ですが、どうでもいいですね。)

 

こういう気持ちというか状況の時って、結構あるような気がします。

 

それに対しては「 何がやねん(何に対してそう感じるのですか)? 」と、自問自答してみるわけですが・・・。

 

ということで、私が何に対してしっくりこないのか、何に違和感を感じているのかについて、ぜひ、書かせてくださいね。

 

私は、2022年4月に37年間勤務した会社を定年退職しました。新卒入社のその企業では、累計20年以上にわたり人事・教育・採用の仕事を経験させていただきました。(詳細は、8月9日の投稿「人生の半ばで人生を考える」をお読みください。)

 

実は現役時代に従事させていただいた仕事の中でも、新卒採用活動の際にこの気持ちになることがわりと多くありました。特にそれは、ある言葉に接する度に生じていました。

 

その言葉とは、「 自己分析 」です。

 

この言葉に接する度に、「 自己分析か、うーん、自分を細分化するって・・・」というふうに違和感を感じていました。

 

自己を分析するのか... ( procreateで作成 )

 

この言葉は、就職活動や採用活動の現場では定番の言葉(共通言語)であり、それを行うことが半ば常識になっています。学生も採用担当者も関係者の皆様も、この言葉をさらりと受容しているように見えます。

 

ところで、「 分析 」という言葉の意味は以下の通りです。

 

複雑な事柄を一つ一つの要素や成分に分け、その構成などを明らかにすること。

哲学で複雑な現象・概念などをそれを構成している要素に分けて解明すること。

物質の組成を調べ、その成分の種類や量の割合を明らかにすること。
(出典:デジタル大辞泉

 

当時もこうして調べてみましたが、言葉の意味を知れば知るほど違和感が増していきました。

 

■ 分析よりも理解したい

採用担当者の立場から言及すると、応募者は自分自身のことを分析するよりは、自分がどのような人生を歩んできたのかを俯瞰的に捉えたほうが良いのではないかと感じていました。

 

もちろん、決して分析を否定しているわけではありません。いわゆる適性検査ツールなども有効に活用できると考えています。実際に現場では活用されてもいました。

 

その上でも、なお、「 まずは理解したい 」との思いの方がはるかに強かったです。

 

「 その人の全体というか総体を知りたい 」、そして「 それを採用担当者としての自分がどう感じるかを知りたい 」という感覚でした。

 

ところで、「 理解 」という言葉の意味は以下の通りです。

 

物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。

他人の気持ちや立場を察すること。「 彼の苦境を理解する 」

ドイツのディルタイ哲学で、文化的、歴史的なものを生の表現とみなし、その生を追体験によって把握すること。

(出典:デジタル大辞泉

 

あくまでも私の感覚ですが、断然、「 理解 」の方がしっくりきます。

 

ということで、私の中では、「 自己分析 」を「 自己理解 」と意訳することにしました。もうこれで、違和感をスッキリ解消されて、しっくりときました。

 

「 そこまで、言葉と印象にこだわらなくても良いのでは? 」との声が聞こえてきそうですが・・・。

 

■ 理解・共感・納得

採用と就職という両方の活動にはマッチングの世界観が反映されていると思います。(詳細は、2022年8月10日投稿の『「 間 」にあるものの価値 』をお読みください)

 

私は当時から、応募者と採用担当者との間には、三つの事柄を共有し合う関係にあると考えていました。

 

それが、「 理解・共感・納得 」です。

 

お互いの活動の間に、これがありありとイメージできる形で共有できたときに、マッチングが成立するのであり、それらを活動プロセスにおいて自覚できていることが大切だと感じていました。

 

確かめるような表現をするとこんな感じでしょうか?

 

・お互いがお互いのことを理解し合えているか。

・その理解について共感できるか。

・その共感に基づいて行う選択に納得できるか。

 

「相互◯◯」が大切( procreateで作成 )

 

こじつけかも知れませんが、この一つ目の言葉を「 理解 」ではなく「 分析 」としてみると、何とも怜悧すぎるというか、そこはかとなく違和感を感じてしまうのは、私だけでしょうか・・・?

 

■ あなたの物語が聴きたい

「 今、ここにいるあなたから、あなたの言葉で、あなたの物語を聴きたい 」。

ちょっと照れくさいけれど、当時も現在もこれは私の本音です。人生は連綿と繋がっており、分断して捉えるものではないだろうとの思いが反映されています。

 

人生の節目で自分のキャリアを考える際には、「 自分自身の過去を真摯に振り返り、現在という踊り場でその反省を生かして、どのように未来へと繋げていくかが大切だ 」と言われます。

 

仏教の教えに「 今を生きる 」というものがあります。「 過去はもはや過ぎ去り、未来はまだ来ていない、そこにあるの今のみだ 」ならば「 過去に拘泥せず、未来を臆せず、今を大切に生きよ 」。

 

こんな感じでしょうか? 私たちが確かに掴めているのは、今(現在)のこの瞬間のみです。そして、今は、過去の積み重ねの延長線上にある。未来はまだどうなるかわからない・・・。

 

改めてそのように認識すると、現在において、自分の過去をいかに「 理解 」し、できるだけ「 共感 」的に解釈し、その一つ一つを「 納得 」していけるかどうか、これらのプロセスがとても大切だと思えてきます。

 

人生にも踊り場が必要( procreateで作成 )

 

このようなプロセスを経ることで、自分で自分の理想を思い描き、自分らしく未来を創造していけるように思います。

 

過去・現在・未来という時間は一つの方向に直線的に進んでいきますが、このプロセスを俯瞰するように観ることで、その流れを循環させることができるようにも思います。

 

そのプロセスのあり方次第で、今、自分の目の前にある事象の見え方や感じ方が違ってくると思います。

 

だから、まず理解したい、物語を紡いで、ありありとイメージできるように自分の言葉で語っていただきたいのです。(そう、お聞かせいただきたいのです)

 

 

・・・あー、そうですね。また、話が長くなりましたね。

 

ということで、今回はこの辺で、終わりにしたいと思います。

 

今回の話題については、またいつか、掘り下げたり、他の話題と連動しながら、書かせていただきたいと思います。

 

これからも、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けていきたいと思います。

 

次回のテーマは未定です