わ便り

60歳からの愉快なキャリアチェンジを目指すおやじのリアルな日常を発信

ただいま迷走中!

 

皆さん、こんにちは。Kazuです。

ちょっとご無沙汰しております。

 

前回(9月13日)の投稿では『 絵を描く愉しみ 』とのテーマで、絵に対する持論を書かせていただきました。

 

『 描くためには、必然的に対象をじっくり見ることになる。それは同時に、素敵に表現するための条件でもありました 』。

 

・・・こんな話でしたね。

 

今回は、「 じっくりと見る対象 」が自分になっていることについて書きます。

 

目次は、以下の通りです。

 

・ やりたいことはあるけれど

・ 自分が本当にやりたいこと

・ 自由と不自由のあいだ

・ 自分を見つめる

 

■ やりたいことはあるけど

私は、現在60歳。定年退職を機に転身を図ろうとしています。「 他にやりたいことがある 」と感じていたので再雇用は希望しませんでした。

 

「 やりたいことがある 」といっても、明確な戦略・戦術や計画があったわけではありません。

 

本ブログの初回投稿(「今さら、キャリアチェンジかよ!?」)では以下をやりたいと記述しており、改めて見ると、何とも曖昧で心許ない印象です。

 

ボヘミアン(自由奔放)な芸術(主に絵画制作)活動。

② 若者のキャリアデザイン支援活動。

③ 自身の仕事経験、スキル、知識、知見などを活かした活動。

 

何故、曖昧で心許ない印象がするのか。

 

それは「 活動 」と記述しておきながら、自分は未だその通りだと言える状態になっていないと感じているからです。

 

動くことは共通( procreate で作成 )


もちろん、「 活動 」の前提として「 行動 」が必要なのは理解しており、今は文字通り行動中ではあるのですが・・・。

 

まあ、「 行動 」するにしても、考えたり思ったりという「 思考 」も同時に心や頭の中を駆け巡るわけで・・・。

 

ということで、この頃の私は動いたり、思ったり、考えたりしながら、結局は自分をもっと見つめる必要に迫られているようです。

 

■ 自分が本当にやりたいことは何か

時々、他者から「 自分のやりたいことがあるのは素敵だ」と言われることがあります。

 

確かにその通りで、自分のやりたいことを自覚できているのはとても幸せなことだと感じます。

 

しかーし、やりたいことについて「 本当に 」との修飾語をつけてみると、果たして心の底から素敵だと感じられるかどうかは現在の私には少々微妙です。

 

どうして微妙なのか・・・?

 

幸いにも現在の私はやりたいことに向き合う時間がたっぷりとあります。家族や周囲の理解も含めて環境にも恵まれています。しかし同時にそれは私をより深く自分に向き合わせることになるからです。

 

その幸せを時々しんどいと感じる時があります。何だか矛盾していますよね。だから微妙なのです。

 

「 本当にやりたいことは何なのか 」、「 何故やりたいのか 」、「 どのようにして実現していくのか 」・・・。

 

これが大きな命題となって、現在の私に迫ってきます。

 

結局、このチャンスを活かすも活かさないも、自分次第なのですが。

 

  自由と不自由のあいだ

ところで、私がなぜ再雇用を希望せすにキャリアチェンジを図ろうとしているのか。

 

冒頭に記述した理由以外にもう一つあります。

 

月並みかもしれませんが、それは「 自由を謳歌したい 」ということで、現在はその願いが叶いつつあります。

 

もちろん、これまでの学生や会社員、社会人や家庭人としての生活でもそれなりに私の個性は尊重され、何かと「 自由 」には恵まれていたと感謝しています。

 

ありがたいなあ( procreate で作成 )

 

しかし、よくよく振り返ってみれば、それはある前提条件というか環境や枠組みがある中での「 自由 」でした。

 

これまでの人生では、入学や入社、配属や異動、結婚や家族など何らかの組織や枠組みに「 入る 」という経験を繰り返してきました。

 

そこには予め誰かが定めた大枠の目的や目標、良識や見本のようなものがあり、それを実現させるための一定の環境が用意されていたように思います。

 

うまく適応していければ何だか安心で楽なところがあったようにも感じます。一方で、その中で物事を考えたり行動していると時に窮屈さを感じることもありました。

 

ところが現在の私はどうでしょうか。更なる自由を謳歌できる状況です。いわば生活( 社会・家庭・個人 )において「 本当にやりたいこと 」を、自分( たち )で決めて実行する前提条件が自ずと整っているのです。

 

何とありがたいことでしょうか! そう現在の私は、その「 有難いこと 」を文字通りに享受できる状況にあるのです。

 

「 やりたいことを自由にやって、人生を謳歌する 」ことを望んでいて、いよいよそれが現実化しだしてきた今日この頃の私。

 

本来なら「 もうほんと素敵だわ~ 」って感じです。

 

でもね、確かに自由なんだけれども、何だかその自由さの中に不自由さも内在しているのです。

 

まだ、これまでの延長線上( 特に会社員の感覚 )にいて本当の自由に慣れていなくて、時々何かに依存したい自分がいて、そこに忸怩たる思いや不自由さを感じていたりして・・・。

 

さながら自由と不自由のあいだで揺れ動いているような・・・。

 

■ 自分を見つめる

ところで、先日はまたまたハローワークに行ってきました。

 

早いもので2022年6月末以来、4回目の失業認定を受けました。ということで、新たな職に就くことについては未だマッチングは実現せず、失業給付金を継続受給しています。

 

失業認定日やその他の日には就職や進路について相談させていただき、その都度、担当者は親身に傾聴し、適宜、有用な情報を提供してくださっています。

 

その場で私は現在の状況と予め整理した自論を伝え、提供情報に関する私見を述べます。

 

こういった活動は「 やりたいことを自由にやって、人生を謳歌する 」ことについてより深く広く考えることへと私を導いてくれており、それは即ち、私にとっての「 本当 」を考えることに繋がっているような気がします。

 

実はこれ、自分を見つめる絶好の機会の一つとなっているんですよね。

 

私は定年退職したことで初めて、「 どこかに入る 」のではなく「 どこかから出る 」ことを経験しました。

 

もちろん、家庭・家族・生活はこれからもずっと「 入り続けていたい 」ので、私の外的環境が変化したとしても、その好ましい関わりについてはいつも一番大切ですが。

 

いずれにしても、様々な経験を通じて「 本当 」 ということをより深く考えるようになりました。しかも、定年退職後は、それを「 自由 」に考えて行動できうる状況となりました。

 

「 本当 」とは「偽りでなく事実・真実であり、見せかけでなく実際である」ことです。 「 自由 」とは「 他者に依存することなく、自分の心のまま( 自分の責任で )好きなように行動する 」ことです。

 

本当と自由か…( procreate で作成 )

 

これは実は、真っ白なキャンパスに絵を描く行為に似ていると感じています。

 

前回の投稿では、絵を描くことに関して以下のような思いを記述しています。

 

「 これまで、これほどまでに夢中になって、物や事象をじっくり見つめたことがあっただろうか ・・・」。

 

今度は、私自身が自分(や取り巻く環境)をこのように見てみる必要がありそうです。その先に、素敵に輝く風景を描いて見ることができるかもしれませんね。

 

風景とは、社会・家庭・生活そのものです。

 

・・・さて、今回はこの辺で一旦終了かな。

 

でも、主に自分に向けて最後に一言だけ書かせてください。

 

好奇心を持って自分を見つめて、感じて、実際に行動を起こしてみる。すると、思わぬ気づきや発見があるかも。継続していくと新たな世界や悦びに出会えるかも。

 

素直に夢を描いたり、自分なりの理想を掲げて自由に行動することには、それらの要素が全て詰まっている。

 

「 自由って、本当にいいね 」

 

夢を描き足りていない私、もっと夢を描いてみませんか。

理想を掲げきれていない私、もっと理想を明確にしませんか。

 

既に描いていることがある私、それらを土台にもっと愉しみましょう。

そして、自由を謳歌しましょう。

 

「 No  Freedom,  No  Life. 」

素敵に囲まれて…( procreate で作成 )



それでは今回はこの辺で、終わりにします。

 

よろしければ関連話題として、以下の既投稿にも目を通していただければ幸いです。

 

・「 今さら、キャリアチェンジかよ!? 」

・「 ハローワークに通っています 」

・「 自由を満喫できるだろうか!? 」

・「 描くということ」

 

もちろん、別の機会を作って関連話題について書かせていただきたいと思います。

 

これからも、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けます。

 

次回のテーマは未定です

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

それでは、また。

ごきげんさんで。