ただいま迷走中!
皆さん、こんにちは。Kazuです。
ちょっとご無沙汰しております。
前回(9月13日)の投稿では『 絵を描く愉しみ 』とのテーマで、絵に対する持論を書かせていただきました。
『 描くためには、必然的に対象をじっくり見ることになる。それは同時に、素敵に表現するための条件でもありました 』。
・・・こんな話でしたね。
今回は、「 じっくりと見る対象 」が自分になっていることについて書きます。
目次は、以下の通りです。
・ やりたいことはあるけれど
・ 自分が本当にやりたいこと
・ 自由と不自由のあいだ
・ 自分を見つめる
■ やりたいことはあるけど
私は、現在60歳。定年退職を機に転身を図ろうとしています。「 他にやりたいことがある 」と感じていたので再雇用は希望しませんでした。
「 やりたいことがある 」といっても、明確な戦略・戦術や計画があったわけではありません。
本ブログの初回投稿(「今さら、キャリアチェンジかよ!?」)では以下をやりたいと記述しており、改めて見ると、何とも曖昧で心許ない印象です。
① ボヘミアン(自由奔放)な芸術(主に絵画制作)活動。
② 若者のキャリアデザイン支援活動。
③ 自身の仕事経験、スキル、知識、知見などを活かした活動。
何故、曖昧で心許ない印象がするのか。
それは「 活動 」と記述しておきながら、自分は未だその通りだと言える状態になっていないと感じているからです。
もちろん、「 活動 」の前提として「 行動 」が必要なのは理解しており、今は文字通り行動中ではあるのですが・・・。
まあ、「 行動 」するにしても、考えたり思ったりという「 思考 」も同時に心や頭の中を駆け巡るわけで・・・。
ということで、この頃の私は動いたり、思ったり、考えたりしながら、結局は自分をもっと見つめる必要に迫られているようです。
■ 自分が本当にやりたいことは何か
時々、他者から「 自分のやりたいことがあるのは素敵だ」と言われることがあります。
確かにその通りで、自分のやりたいことを自覚できているのはとても幸せなことだと感じます。
しかーし、やりたいことについて「 本当に 」との修飾語をつけてみると、果たして心の底から素敵だと感じられるかどうかは現在の私には少々微妙です。
どうして微妙なのか・・・?
幸いにも現在の私はやりたいことに向き合う時間がたっぷりとあります。家族や周囲の理解も含めて環境にも恵まれています。しかし同時にそれは私をより深く自分に向き合わせることになるからです。
その幸せを時々しんどいと感じる時があります。何だか矛盾していますよね。だから微妙なのです。
「 本当にやりたいことは何なのか 」、「 何故やりたいのか 」、「 どのようにして実現していくのか 」・・・。
これが大きな命題となって、現在の私に迫ってきます。
結局、このチャンスを活かすも活かさないも、自分次第なのですが。
■ 自由と不自由のあいだ
ところで、私がなぜ再雇用を希望せすにキャリアチェンジを図ろうとしているのか。
冒頭に記述した理由以外にもう一つあります。
月並みかもしれませんが、それは「 自由を謳歌したい 」ということで、現在はその願いが叶いつつあります。
もちろん、これまでの学生や会社員、社会人や家庭人としての生活でもそれなりに私の個性は尊重され、何かと「 自由 」には恵まれていたと感謝しています。
しかし、よくよく振り返ってみれば、それはある前提条件というか環境や枠組みがある中での「 自由 」でした。
これまでの人生では、入学や入社、配属や異動、結婚や家族など何らかの組織や枠組みに「 入る 」という経験を繰り返してきました。
そこには予め誰かが定めた大枠の目的や目標、良識や見本のようなものがあり、それを実現させるための一定の環境が用意されていたように思います。
うまく適応していければ何だか安心で楽なところがあったようにも感じます。一方で、その中で物事を考えたり行動していると時に窮屈さを感じることもありました。
ところが現在の私はどうでしょうか。更なる自由を謳歌できる状況です。いわば生活( 社会・家庭・個人 )において「 本当にやりたいこと 」を、自分( たち )で決めて実行する前提条件が自ずと整っているのです。
何とありがたいことでしょうか! そう現在の私は、その「 有難いこと 」を文字通りに享受できる状況にあるのです。
「 やりたいことを自由にやって、人生を謳歌する 」ことを望んでいて、いよいよそれが現実化しだしてきた今日この頃の私。
本来なら「 もうほんと素敵だわ~ 」って感じです。
でもね、確かに自由なんだけれども、何だかその自由さの中に不自由さも内在しているのです。
まだ、これまでの延長線上( 特に会社員の感覚 )にいて本当の自由に慣れていなくて、時々何かに依存したい自分がいて、そこに忸怩たる思いや不自由さを感じていたりして・・・。
さながら自由と不自由のあいだで揺れ動いているような・・・。
■ 自分を見つめる
ところで、先日はまたまたハローワークに行ってきました。
早いもので2022年6月末以来、4回目の失業認定を受けました。ということで、新たな職に就くことについては未だマッチングは実現せず、失業給付金を継続受給しています。
失業認定日やその他の日には就職や進路について相談させていただき、その都度、担当者は親身に傾聴し、適宜、有用な情報を提供してくださっています。
その場で私は現在の状況と予め整理した自論を伝え、提供情報に関する私見を述べます。
こういった活動は「 やりたいことを自由にやって、人生を謳歌する 」ことについてより深く広く考えることへと私を導いてくれており、それは即ち、私にとっての「 本当 」を考えることに繋がっているような気がします。
実はこれ、自分を見つめる絶好の機会の一つとなっているんですよね。
私は定年退職したことで初めて、「 どこかに入る 」のではなく「 どこかから出る 」ことを経験しました。
もちろん、家庭・家族・生活はこれからもずっと「 入り続けていたい 」ので、私の外的環境が変化したとしても、その好ましい関わりについてはいつも一番大切ですが。
いずれにしても、様々な経験を通じて「 本当 」 ということをより深く考えるようになりました。しかも、定年退職後は、それを「 自由 」に考えて行動できうる状況となりました。
「 本当 」とは「偽りでなく事実・真実であり、見せかけでなく実際である」ことです。 「 自由 」とは「 他者に依存することなく、自分の心のまま( 自分の責任で )好きなように行動する 」ことです。
これは実は、真っ白なキャンパスに絵を描く行為に似ていると感じています。
前回の投稿では、絵を描くことに関して以下のような思いを記述しています。
「 これまで、これほどまでに夢中になって、物や事象をじっくり見つめたことがあっただろうか ・・・」。
今度は、私自身が自分(や取り巻く環境)をこのように見てみる必要がありそうです。その先に、素敵に輝く風景を描いて見ることができるかもしれませんね。
風景とは、社会・家庭・生活そのものです。
・・・さて、今回はこの辺で一旦終了かな。
でも、主に自分に向けて最後に一言だけ書かせてください。
好奇心を持って自分を見つめて、感じて、実際に行動を起こしてみる。すると、思わぬ気づきや発見があるかも。継続していくと新たな世界や悦びに出会えるかも。
素直に夢を描いたり、自分なりの理想を掲げて自由に行動することには、それらの要素が全て詰まっている。
「 自由って、本当にいいね 」
夢を描き足りていない私、もっと夢を描いてみませんか。
理想を掲げきれていない私、もっと理想を明確にしませんか。
既に描いていることがある私、それらを土台にもっと愉しみましょう。
そして、自由を謳歌しましょう。
「 No Freedom, No Life. 」
それでは今回はこの辺で、終わりにします。
よろしければ関連話題として、以下の既投稿にも目を通していただければ幸いです。
もちろん、別の機会を作って関連話題について書かせていただきたいと思います。
これからも、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けます。
次回のテーマは未定です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
ごきげんさんで。
絵を描く愉しみ
皆さん、こんにちは。Kazuです。
前回(9月4日)の投稿では『 採用担当者の目線と応募者の心構え 』とのテーマで、自身の経験と学び、気づきについて書かせていただきました。
『 ただ単に「 過去 」をのんべんだらりと聞くのではありません。その「 経験 」から得られた「 宝( 学習・気づきを含む 意味や意義 )」は何かに着目します 』。
・・・・・・こんな話でしたね。
今回は、趣を変えて、私が大好きな絵について書きます。
目次は、以下の通りです。
・ 絵を描くきっかけ
・ 絵を描くことの効用
・ 絵を観ることの悦び
■ 絵を描くきっかけ
私が絵を描き始めたのは23年前( 当時37歳 )、最初に描いたのはペン画でした。
学生の頃に見たある雑誌に掲載されていた挿絵の印象がずっと残っており、ある時、そのような絵を描いてみたいと思ったのがペン画を選択した理由です。
残念ながらその雑誌は手元には残っておらず、作者が誰なのかわかりませんでした。印象だけに頼って同様の絵を描くのは難しいので見本が欲しいと思いました。
そこでまずは、そのような絵が記載された本を探すことから始めました。
大きな書店を何軒か訪問し、「 おそらく 、これだ! 」と感じる本に出会うことができました。
それが「 絵を描きたいあなたへ ( 永沢まこと )」でした。
その本には、あの時と同じような絵がたくさん描かれていました。
「 こ、これだ! 」と直感した私は、すぐさま購入し貪るように読みました。著者の絵が素晴らしいのはもちろんですが、文章もすごく魅力的で私はどんどん引き込まれていきました。
そう、そこには絵を描くことの悦びや愉しみ、そして効用がイキイキとした絵と文で表現されていたのです。
読後の感想はただ一つ、「 こんな絵を描きたい、よし、描いてみよう !」。
私の中の「 絵ごころ 」がくすぐられた瞬間でした。
その後も私は彼の他の著書も数多く入手し、ワクワクしては絵を描き続けるようになりました。
永沢まことさんは、残念ながら2022年(令和4年)1月8日に85歳で亡くなられました。生涯を通して愉快に絵を描き続け、その愉しさを多くの人々に伝播されました。
私も多大なる影響を受けた一人です。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
■ 絵を描くことの効用
彼の本を読むことで、絵を描くことのハードル( 心理的不安 )が低くなりました。
その一例が「 ペンの線は消せない、しかし、間違ったと思っても気にしないで、その線は消さずに新たな線をまた描いていけばよい 」との主旨の文章でした。
私は彼が勧めるように、広告の裏やメモ帳にスケッチをしたり、ノートやスケッチブックにペンで花や樹木、雑貨や文房具、近所の風景などを描いてみました。
なかなか上手くはなりませんでしたが、それでも時々いい感じに描ける時もあり、それが嬉しくて続けました。そして、やがて水彩絵具で着彩するようにもなりました。
ところで、何枚も何十枚も描き続けているうちに、気づいたことがあります。
それは「 描くためには、必然的に対象をじっくり見ることになる 」ということでした。それは同時に、素敵に表現するための条件でもありました。
花なら花、人なら人、雲なら雲を、じっくりと見る。
「 これまで、これほどまでに夢中になって、物や事象をじっくり見たことがあっただろうか ・・・」。
これが、絵を描きながら感じていた素直な想いです。
当時は仕事や生活が忙しく慌しい日々の真っ只中にいましたから、余裕がありませんでした。
「 見る 」ことに関しては、見ているようで実は何もしっかりとは見れていませんでした。まるで高速列車に乗っているように、車窓からあっという間に流れさる景色をただ漫然と見ているかのようでした。
そんな中、あえて立ち止まって遠くで風に流される雲を見たり、花や葉の構造を観察する時間を持てたことは貴重な経験でした。
じっくり見ていると、自分の心と体の中に潤いと爽快さを同時に感じるというか、何とも言えない心地よさに包まれます。
それだけでも十分に素晴らしい体験ですが、それを絵にすることができるのはつくづく幸せなことです。
■ 絵を観ることの悦び
私は絵を観ることも大好きです。
ということで、先日も「 スコットランド美術館の美の巨匠たち展 」( 神戸市立博物館 )を観てきました。
この展示会では、スコットランドの誇る至宝の中から、ラファエロ、エル・グレコ、ベラスケス、レンブラント、ルノワール、コローなど、ルネサンス期から19世紀後半までの西洋絵画史を彩る巨匠たちによる芸術を間近に観ることができました。
あまりにも素晴らしい芸術を目の当たりにしてとても感激しました。近寄って観たり、離れて観たり、角度を変えて観たり、そりゃもう絵の前からしばらく離れることができませんでした。
なので、館内を二周しちゃいました。(笑)
それだけでも贅沢すぎるのですが、私の一番のお目当ては、イギリスの画家であるジョン・コンスタブルが描いた風景画【 デダムの谷 】でした。
ジョン・コンスタブル(1776年ー 1837年)は、生まれ故郷の風景を好んで描いた画家で、自然への敬愛とつぶさな観察に基づいて表現される情景は観る者の心を揺さぶり、まるで現場にいるかのような臨場感に溢れています。
ということで、案の定、私はこの絵に衝撃を受け、一時間以上もその場に居続けてしまいました。
その間は、技法を観ることはもちろんですが、湧き立つ雲の描写から吹く風の流れを想像し、少々荒々しい樹の幹や葉、大地の描き方からその感触を感じようとしていました。
とても名残惜しかったのですが、図録とポストカードを購入することで区切りをつけることにしました。今はそれらを観て、再び刺激を受けて、新たな絵を描いています。
それにしても、これが絵を観ることの悦びだと私は思っています。
すごく感動したのですが、その感動をうまく表現できなくてとても悔しいです。
・・・いつも通り、長くなりそうです。
でも、最後に一言だけ書かせてください。
好奇心を持って何かを見つめて、感じて、実際に行動を起こしてみる。すると、思わぬ気づきや発見があるものです。継続していくと新たな世界や悦びに出会えます。
絵を描いたり観たりすることには、それらの要素が全て詰まっています。
「 絵って、本当にいいですね 」。
絵を描いていない皆さん、絵を描いてみませんか。
絵を観ていない皆さん、絵を観賞しませんか。
既に描いている皆さん、これからも共に愉しみましょう。
そして、絵を観賞しましょう。
「 No Art , No Life. 」
※本書は現在『 絵が描きたくてたまらない! 』と改題されています。
それでは今回はこの辺で、終わりにします。
よろしければ関連話題として、以下の既投稿にも目を通していただければ幸いです。
もちろん、別の機会を作って関連する話題を書かせていただきたいと思います。
これからも、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けます。
次回のテーマは未定です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
ごきげんさんで。
採用担当者の目線と応募者の心構え
皆さん、こんにちは。Kazuです。
前回(9月1日)の投稿では、『 心からたのしみたい 』とのテーマで、「 楽しむ 」と「 愉しむ 」の違いにスポットを当てました。
『 以来、わたしは「 心 = 深く 」と解釈して、「 楽しむ 」と「 愉しむ 」の違いを緩やかに意識し併用しながら、日々の生活をできるだけ能動的に「 たのしむ 」ように心がけてきました。』
・・・・・・こんな話でしたね。
今回は、現在、就職活動中のわたしが経験した学びや気づきについて書きます。
目次は、以下の通りです。
・ ただいま就職活動中
・ 応募者の事前準備
・ 採用担当者はどこをみているか
・ 経験をどう活かすか
■ ただいま就職活動中
以前の投稿でも書いていますが、現在、無職無給のわたし( 60歳で定年退職 )はハローワークで失業給付金を受給しながら就職活動中です。
現在は定期的にハローワークに通い、就職相談をしています。まだ「 これだ!」と感じる求人に出会っておらず応募には至っていません。
ところで、ハローワークでは、職業相談の他にセミナーや合同面接会、職業訓練などの支援活動をされています。
求職者の状況や受け取り方に左右されるものの、案外(失礼!)に良い内容のものがあります。
せっかくの機会だと思い、先日は就職活動で結果を出すためのセミナーを受講しました。「 採用担当者は応募者のどこを見ているのか 」がメインテーマでした。
「 採用担当者の目線をしっかり理解して、就職活動に臨みましょう 」ということですね。
結論から言うと、すごく良い内容でした !
何が良かったかって、それはもう解説と資料の巧みさです。
解説は明解で、資料は見やすく適切な余白が設けてあるので、説明を聞きながら当該事項に関しての自分の思いや考えをすぐに記述できます。
私にとっては、これらにより講義内容と自己理解が促進されました。
「 相手のことを知る前に、自分のことを知りましょう 」。
講師は開口一番、このように言及されました。
「 何や、当たり前やん 」と感じるかもしれませんが、私は、講師がココから話題展開してくださったことに共感しました。
「 そもそも、自分は何のために働くのかをはじめに考えてほしい 」。
実は、かつて採用担当者(約20年経験)だった私は、応募者に同じような問いかけをすることがしばしばでした。
まさに、「 WHY( なぜ )から始めよう 」というわけです。
この軸がブレブレだと、結局、就職活動そのものの流れも大きくブレることになるからです。
「 そもそも 」をしっかり考えること。
「 しなやかでブレない軸 」を持つ こと 。
その課題が、今はわたしに突きつけられています。
■ 応募者の事前準備
そうなんです。
企業や職種の名称に気をとられ過ぎて闇雲に活動するのではなく、まずは自分自身をしっかりと理解する必要があるのです。
ちょっと立ち止まるのも、動きながら考えるのも良いでしょう。でも「 はじめに考える 」ことが大切です。ただし、「 独りよがりであってはならない 」。
講師は、このようにも言及されていました。
そりゃそうですようね。もちろん自分の事情や都合はあります。でも、求人先の事情や求人背景もありますし、社会情勢もあります。これらの概要を理解しておくことも大切です。
その上で、自己理解に基づいて業界や企業のどこに着目するのか、何を重視するのかについて考えていくというわけです。
それにしても自己を理解することは奥深く、決して楽なことではないと感じます。頭の中で考えているだけでは、ぼんやりとしたままになりがちです。
やはり、文字にして見えるようにすることが大切です。
講師はそのポイントや進め方も教えてくださいました。( 概要は以下の通りです )
① 「 能力( 強み・長所 ) 」「 興味 ( やりたいこと )」「 価値観 ( 大切なもの ) 」を整理、理解する。
② 「 WILL ( 夢・目標 )」「 CAN( 自覚する能力 )」「 MUST ( 必要な能力 )」の重なったところに理想の仕事がある。
③ 「 人生・仕事の成果 = 考え方 × 能力 × 熱意 」(稲盛和夫)である。
( 「 考え方 」にはプラスとマイナスの両方がある )
私は現役時代の仕事の関係もあり、これらについては何度となく確認をしてきました。
でも、状況は変化するものですから、この機に改めて確認していくつもりです。
「 思いたったが吉日 」!
皆さんも、よろしければこの機に現在の自己理解を文字にしてみてはいかがでしょうか。
■ 採用担当者はどこをみているか
「 どこをみているのか? 」「 どんな人が採用されるのか? 」
これ、気になりますよね。
結論から言うと、以下の通りでした。
・一緒に働きたいと思えるかどうか。
・採用するメリットがあるかどうか。
採用担当者は主に面接で上記を感じられるかどうかを、応募者の「 姿勢 」や「 態度 」を見て感じようとしているとのことです。
これ、私が採用に従事していた時にも、同じ意図で面接や面談に臨んでいました。( 今さらながら、ちょっと安堵 )
もちろん、求める基準や評価ポイントは企業によってそれぞれ異なります。でも、上記二つのポイントはどの企業でも概ね共通していたとの実感です。
まあ、当たり前のことなのですが、案外、見過ごしがちなのではないでしょうか。
「 所詮は印象か・・・」と思われるかもしれません。
でも、そうなんです。「 印象 」とは表層的な見た目ではなく、対話を通じて醸し出される、その人の「 人や物事に対する姿勢や態度 」の総体のようなものですから。
このような実情を理解すると、自ずと先述の「 自己理解 」がいかに大切かが身に染みてきますよね。
もちろん、講師が指摘されたように、面接( 採用されるかどうかの場面 )では、「 一人よがり( 自分本位 ) 」であってはいけません。
だからこそ、この段階では、その企業が求める「 MUST (必要な能力 )」をできるだけ事前に理解し、他の要素と適合する部分を見つけておくことも必要なのですね。
■ 「 経験 」をどう活かすか
面接では、応募者は自身の「 経験 」を訊かれます。
何故か。それは、採用担当者と応募者が「 現在 」において対峙しているからです。
「 未来 」はまだ来ていないので、どうなるかは誰にもわかりません。「 過去 」については、既に過ぎ去り見えなくなっています。
でも、面接では「 過去の経験 」について、それこそ「 根掘り葉掘り 」質問されます。
「 過去の栄光にすがるな 」とは、よく言われれることです。しかし、採用と就職活動の現場では、宝は「 過去 」にあります。
その「 宝 」を「 現在 」でも見えるように掘り起こそうとします。
面接での主な手段が「 対話 」です。( 事前段階ではその手段は「 文字 」)
ただ単に「 過去 」をのんべんだらりと聞くのではありません。その「 経験 」から得られた「 宝( 学習・気づきを含む 意味や意義 ) 」は何かに着目します。
そして、ここからが肝心です。
その上で、「 未来のこと 」を聞き、その再現性や発展性の推測がなされます。その内容に応じて採否が決定されるのです。
その姿が「 ありありとイメージできる 」のであれば、きっとハッピーな結果が待っていることでしょう。
こんなことを教示いただけた素敵なセミナーでした。
講師、そして、このような機会を提供してくださったハローワークの職員の皆様、どうもありがとうございました。
・・・またまた、長くなりそうです。
ということで、今回はこの辺で、終わりにしたいと思います。
今回の話題については、講師の講話とわたしの「 経験 」を交えて書かせていただきました。その点で少し煩雑な内容だったかもしれません。
そこで、よろしければ関連話題として、以下の既投稿にも目を通していただければ幸いです。
もちろん、別の機会を作って関連の話題を書かせていただきたいと思います。
これからも、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けます。
次回のテーマは未定です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
ごきげんさんで。
心からたのしみたい
皆さん、こんにちは。Kazuです。
前回(8月29日)の投稿では、『 幸福の尺度 』とのテーマで、幸福になるための四つの因子というものに出会い、そのために自分は「 どうあるか 」について書かせていただきました。
『 幸福を「 状態 」として捉えるのなら、「 幸福になりたい 」と未来願望するだけでなく、もう少し現在に目線を向けて「 幸福でありたい 」と望むのもありなんじゃないでしょうか』。
・・・こんな思いを抱いているという話でしたね。
今回は、前回の話題の前提でもあり、私が「 そうありたい 」と想っていることについて書いてみます。
目次は、こんな感じです。
・どのように生きたいか?
・ 二つのたのしみ方
・「 楽しむ 」と「 愉しむ 」
・ より深みのある表現?
■ どのように生きたいか?
もう10年以上前でしょうか、キャリアコンサルタントとしての知識と実践力を向上させるための勉強会に参加していたことがあります。
その会でのワークの一つとして、好きな漢字を一文字揚げて、その理由をメンバーに説明するというものがありました。
皆さんは、どんな漢字がお好きですか?
私はそれほど迷うことなく『 愉 』という漢字をノートに大きく書きました。
当時説明した内容を思い出しながら、その理由を書いてみますね。
結論から言うと、「 できるだけ、本心からやりたいと感じることをたのしむ時間を多く過ごしたいと想っており、その状態を表す漢字が『 愉 』であると理解しているから 」ということになります。
ところで、私は幼い頃からお調子者のところがありました。そう、ガサツで騒がしい、よく言えば明るく陽気な性格でした。
社会人になるまでは前者が目立ち、大人になるにつれやや落ち着いてきました( あくまでも私見)が、どの年代でも共通していたのは「 日々、たのしく過ごしたい 」との思いでした。
たのしいことを探し出すことには貪欲な方だと思います。なので、臆病なくせにちょっとした寄り道や小さな冒険などが好きです。
「 あの狭い路地の先はどうなっているんだろう 」とワクワクしてちょっとだけ進んでみるような感じで、その感覚をたのしんでいるところがあります。
ただ、年齢を重ねるごとに、追求する「 たのしむ 」のあり方が変わってきたというか、バリエーションが増えてきたように感じます。
自意識過剰かもしれませんが・・・。
■ 二つのたのしみ方
私は物事のたのしみ方には大きく二つあると感じています。それが「 楽しむ 」と「 愉しむ 」です。どちらも、同じ読み方ですね。
現在は「 楽しむ 」が一般的で多用されているようです。
ちなみに、「 楽しむ 」の意味は以下の通りです。
① 満ち足りていることを実感して愉快な気持ちになる。
② 好きなことをして満足を感じる。
③ 先のことに期待をかけ、そうなることを心待ちにする。
④ 富む。裕福になる。
( 出典 : デジタル大辞泉)
「愉しむ」もこれと同様の意味となるそうです。
・・・。
■「 楽しむ」と「 愉しむ 」
先述の通り、大人になった( なりつつある )私は、できるだけ、本心からやりたいと感じることをたのしむ時間を多く過ごしたいと思っていました。
そう、「 本心から」なのです。
一般的に多用されている「 楽しむ 」いう表現を否定するつもりはありません。
遊びや旅行など、文字通り自分が本来「 好きで楽しめること 」を楽しむことも私は大好きですし、楽観的なところも多々あります。
しかし、何となく、それだけではしっくりこないのです・・・。
あくまでも個人的な感覚ですが、私がこの二つの漢字から連想するイメージは以下のようなものです。
「 楽しむ 」
既にある環境や状態を前提として、それらにうまく適合したり有効活用して躍動的にたのしむ。
「 愉しむ 」
自分の感性や感覚をベースにして何かを新たに生み出したり転化させることを前提として、心から深く染み入るようにたのしむ。
・・・。
これはあくまでも自分の見解ですが、これで良いのだろうかとなんだか悶々とします。
どうしても気になったので、二つの「 たのしみ 」の違いについて詳しく調べてみたことがあります。
■ より深みのある表現?
ネットサーフィンを重ねていくうちに、ついに、私にとって分かりやすい解説に行き当たりました。(以下に概要を記述します)
「 楽 」は「 喜びや心地良さを感じる 」ことを意味し、「 楽しむ 」は「 受動的な経験も含め、なんらかの行動に伴って喜びや満足感を得ること 」を表します。
「 愉 」は「 心からたのしむ 」という意味があり「 愉しむ 」は「 自分の好きなことをして喜びや充足感を得る 」というニュアンスを持ちます。
・「 愉しむ 」は「 楽しむ 」とほぼ同じ意味を持つ。
・ 一般には平易な「 楽しむ 」が用いられる。
・「 楽しむ 」と表記して間違いではない。
・ より深みのある表現をしたい場合はこれらを使い分けるとよいだろう。
( 出典:違い比較辞典HP )
・・・ これ、これ、これー。
「より深みのある表現」・・・!
このサイトでの解説を読んで、当時の私はもうワクワクが止まりませんでした。(こういうところが、お調子者って感じですよね 笑)
とてもしっくりと感じるものがあり、本当にスッキリしました。
今回の投稿のタイトルは「 心からたのしみたい 」です。
それ以来、私は「 心 = 深く 」と解釈して、「 楽しむ 」と「 愉しむ 」の違いを緩やかに意識し併用しながら、日々の生活をできるだけ能動的に「 たのしむ 」ように心がけてきました。
受動からスタートしても、能動に転換するというか、そんなことも意識してみました。
すると、なんだか「 愉快 」に過ごせる時間が増えたような感じがしてきたのです。
まあ、「愉しむ」という表現はネガティブな状況をポジティブに変えるというか、自分の気持ちを前向きな心に切り替える時にも使えますしね。
何せ、「心」がついてますから。
いかがでしょうか、皆さん、「 愉 」って、素敵な漢字だと思いませんか~!
ちなみに、「 愉 」という漢字の語源は、、、
・・・ああっ、くどいですよね。
ということで、今回はこの辺で、終わりにしたいと思います。
今回の話題については、私の心の声を書かせていただきました。自己満足かもしれませんが、読者の皆様が聴くように読んでくださったのならとても嬉しいです。(よろしければ、関連話題として、8月17日投稿の「 あなたの物語を聴きたい 」をお読みください。)
また機会があれば、この話題を掘り下げたり、広げたりしながら、書かせていただきたいと思います。
これからも、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けていきたいと思います。
次回のテーマは未定です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
ごきげんさんで。
幸福の尺度
皆さん、こんにちは。Kazuです。
前回(8月26日)の投稿では、『 重心をどこに置くか 』とのテーマで、物事の中心となる点や均衡を保つはたらきをするものとは何かについて、自分なりにもっと具体的に考えてみたいとの話を書かせていただきました。
『 物事を行おうとする際に、その中心となるものはどのようなもので、それをどのような考え方やスタンスで行うのか・・・』。
・・・こんな思いを抱いていたという話でしたね。
今回は、前回の話題の延長線上でもあり、私が友人との会話で気づいたことについて書いてみます。
目次は、こんな感じです。
・ 幸福になる四つの因子って何?
・ そりゃ幸福でありたい
■ 幸福になる四つの因子って何?
唐突ですが、私には友人がいます。それほど沢山ではないですが、それなりにいます。でも最近はコロナ禍の影響もあり、直接会う機会は減っています。
しかし、幸い現職時代のある同期の友人とは割と頻繁に連絡を取り合っています。
現役の頃から仲が良かったということや、共に同時期に定年退職し再雇用を選択しなかったという共通点があることも影響しています。
「 やりたいことがある、人生のゴールデンタイムを謳歌するぞ 」とばかりに、今はお互いに将来の夢を追いかけているところです。
とはいうものの、現実は決して甘くはないので、時に情報交換したり、励まし合うこともしばしばです。正直、同志がいることはとても心強いです。
先日、その友人から1通のLINEがありました。
そこには「 幸福になる四つの因子 」について書かれた文章の画像が貼り付けてありました。
読んでいると「 因子分析 」との言葉がありました。私は「 分析 」との言葉や行為に少し懐疑的なところがあるので、難しそうだと感じ一瞬たじろいだのですが・・・。
読み進めていくうちに、すぐにとても素敵な内容であると気づきました。
この文章は、前野隆司さん(慶応義塾大学大学院教授)がある本に寄稿されているもので、指導学生と共に幸せに関する過去の研究やアンケート結果をコンピュータにかけ、専用ソフトで計算された結果だということです。
「 四つの因子 」とは、以下のことらしいです。
① 「 やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)
② 「 ありがとう! 」因子(繋がりと感謝の因子)
③ 「 何とかなる! 」因子(前向きと楽観の因子)
④ 「 ありのままに! 」因子(独立と自分らしさの因子)
(出典:「 1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書 」藤尾秀昭 監修)
皆さん、この要因を満たせば誰もが幸せになれるらしいですよ。
■ そりゃ幸福でありたい
それにしても、とても分かりやすい因子ですよね。
『 自分の人生の夢や目標に向かって学習し成長しようとし、人や出来事に感謝して誰かのために何かをして喜ばせたい、そのために楽観的かつ前向きに前進していく。でも、あくまでも自分らしく生きる。』
こんな感じでしょうか。
この文章を読んだ時に、私は直感的に『 自分は「 ありのままに!」因子 が不足しているのでは? 』というふうに感じました。
優しい友人は「 あなたは全部満たしていると思うけど・・・」と言及してくれましたが・・・。(友人よ、いや~、ほんと、あなたにはいつも勇気づけられるわ~)
・・・いかん、話を戻します。
私は、そりゃ、やっぱり幸福になりたいです。(皆さんもそうですよね)
ただ、何となく私が自覚しているのは、何か物を手に入れた時の幸福感が全てではないだろうということです。
確かに、人間には物欲がありますから、欲しいものを苦労して手に入れた時の感動は、それはもう何とも言えない喜びです。
でも、それは、どうも刹那的であるようにも感じてしまうのです。
どちらかというと、物欲なども包含して、手に入れたものをいかに活用し、何を行い、何を感じるかというような、その「 状態 」に目を向けるのが良いように思います。
自分を取り巻く環境というか状況には、自分の意思や力の及ばないところがあるけれど、そのような中で自分が「 どうあるか 」については、ある程度自分の意思で選択できるように感じます。
幸福を「 状態 」として捉えるのなら、「 幸福になりたい 」と未来願望するだけでなく、もう少し現在に目線を向けて「 幸福でありたい 」と望むのもありなんじゃないでしょうか。
■ 私が私であるために
「 僕が僕であるためにー♪ 」「 君が君であるためにー♪ 」
かつて歌手の尾崎豊さんは、そのためには「 勝ち続けなきゃならない 」と唄いました。
当時の彼もある意味、彼なりの「 幸福 」を求めていたのだろうと感じます。時代背景もありますが、共感できるところがあります。
ところで、現在の私は、先の文章を読んだ影響もありますが、「 ありのままに ! 」因子 をもう少し満たす方向で日々生活したいなと思っています。
「 人間 」との漢字の通り「 人は人との間 」で生きており、相互に影響しあっているので、そうは簡単に「 ありのままに !」いることはむずかしい部分も多々あると思います。
でも、他の三つの因子と合わせて満たすことを心がけ、できるだけ周りの目を過剰に気にせず、自分らしく生きたいと思うのです。
そう、「 私が私であるためにー 」。
・・・。
私にとって今回のテーマは、何だかとっても奥深いものがあると感じます。なので、「 ありのままに!」因子については、今後もこのブログを通じて深掘りしていきたいと思います。
もちろん、人と仲良くしますし、でも、同時に自分らしさも大切にね!
・・・あの~、話があちこちに飛んで申し訳ないのですが、今回の投稿は、既出の以下投稿も合わせて読んでいただくとわかりやすいかもしれません。よろしければ、どうぞ。
・・・ハーイ、そろそろ潮時ですよね。
ということで、今回はこの辺で、終わりにしたいと思います。
今回の話題については、大切な友人からのメッセージがきっかけで書かせていただきました、私なりには、それなりに影響力のある気づきで感謝です。(これぞ「 ありがとう因子!」? )
また機会があれば、この話題を掘り下げたり、広げたりしながら、書かせていただきたいと思います。
これからも、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けていきたいと思います。
次回のテーマは未定です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また。
ごきげんさんで。
重心をどこに置くか
皆さん、こんにちは。 Kazuです。
前回(8月23日)の投稿では、『 妄想から始めよう 』とのテーマで、自分のやりたいことや望むことにもっと注目して、仕事もキャリアもその他のことにも、もっと自分が主体であっても良いのではないかとの主旨で書かせていただきました。
『 こうしていくうちに、多くの人が自分なりの「 しなやかでブレない軸 」を持って意味や意義を感じられることを「実践」できればいいなあ、とつくづく思います。』
・・・こんな思いを抱いていたという話でしたね。
今回は、私が他者と話す中で感じていることや気づきについて書いてみます。
■ やりたいことをするために、どうしていくか?
私こと Kazu はただいま就職活動中です。2022年4月に60歳で定年退職し、現在は無職無給の状態です。定期的にハーローワークに通い失業給付金を受領しながら、セカンドキャリアへの道を模索しているところです。
ということで、先日はハローワークを訪問し、3回目の失業認定を受けた後、就職相談をさせていただきました。
私にとっては、この就職相談が、「 自分が本当にやりたいことは何か、やりたいことをやるためにどうしていくか 」を定期的に確認する絶好の機会となっています。
この辺りの事情というか想いについては以下にてご確認いただけます。
よろしければ本稿と合わせて、ぜひお読みください。
ところで、私は相談させていただく方を事前に指名させていただいています。
もともと様々な方に相談し、相性の良さや価値観などをよりご理解いただけそうな方がいたら、そのようにしようと思っていました。
「 自分が本当にやりたいことは何か、やりたいことをやるためにどうするか 」。
いざとなってみれば、このことをしっかりと考えて実践していくのは、案外にハードルが高いというのが私の実感です。
一人で考えて実践するのもしんどいものです。信頼できる誰かがいるのなら、その方に話しながら、確認していくほうが良いように思います。
■ 自分の重心って、どこにあるの?
私の場合は幸運なことに、たまたま知人がそこにいて相談員をされていました。その方とは気心が知れており、話もしやすいので、現在はその方を指名させていただいています。
先日もその方とお話しする中で、私にとって響く言葉に出会いました。
「 重心をどこに置くか 、ですよね・・・」。
相談員の方が私の活動状況や想いを聴いてくださる中で、私にかけて下さった言葉です。
「 そんなん、わかっていること(やん)」。
そんな読者の声が聞こえてきそうですね。確かに私も一瞬はそのような思いがよぎりました。
でもね、これって、この問いに真剣に対峙してみると、明確に回答するのは結構難しいと思います。
「 仕事 vs 遊び 」とか、「 会社 vs 私生活 」のような単純化された対立構造で天秤にかけるものではないだろうし・・・。
とうことで、私は、良い問いにぶつかることができました。
ちなみに、「 重心 」とは、以下の意味があるそうです。
① 物事の中心となる点。均衡を保つはたらきをするもの。
② 物体の各部に働く重力をただ一つの力で代表させるとき、それが作用する点。
③ 数学で、図形上に一様に質量を分布させたときの質量中心。
( 出典:デジタル大辞泉 )
・・・うーん 、???。
■ ずっとやりたかったことをやってみよう
幸い(何が、幸いやねん)、私にはすでにやりたいこと(らしきものやろ)がありました。
それは、「 Art 」「 Career 」「 Recruit 」の三つの分野を交叉するポイントを軸にして、関係する皆さんに喜んでいただけて、何か社会のお役に立てるようなことを創造的にやっていきたい、というものです。
「 これって、素敵やん!」。
自分では、このように思っていました。そう、自己満足的にね・・・。
もちろん、これはこれで良いとは思っています。しかし、まあ、率直に言えば、まるで陽炎のように輪郭がうすらぼんやりしていますよね。
もともと、何となくバランスは意識していました。やりたいことを、どのような配分や掛け合わせでやっていくのかということは、それなりに考えていたつもりでした。
ところが、ところがですよ、皆さん!
「 重心 」については、あまり考えていなかったわ~、いや、ほんまに、もう・・・。
どういうことか!(どういうことやねん、早よ言え)
つまり、私は、デジタル大辞泉の解説によるところの「 重心 」の ①についてあまり突っ込んで考えてはいなかったようです。
「 物事の中心となる点。均衡を保つはたらきをするもの 」とは何か?
つまり、私が物事を行おうとする際に、その中心となるものはどのようなもので、それをどのような考え方やスタンスで行うのか・・・。
これを、自分なりにもっと考えて、もっと鮮やかにしたいところです。
皆さん、どう思います?(そんなこと、知るかー)
・・・ハイ、また、話が迷走し出しましたね。気づいてますよー。
ということで、今回はこの辺で、終わりにしたいと思います。
今回の話題については、やや大袈裟な感じもしますが、私なりには、それなりに影響力のある気づきでした。
また機会があれば、この話題を掘り下げたり、他の話題と連動しながら、書かせていただきたいと思います。
これからも、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けていきたいと思います。
次回のテーマは未定です。
それでは、また。
ごきげんさんで。
「 妄想 」から始めよう
前回(8月20日)の投稿では、『 あなたの物語を聴きたい 』とのテーマで、就職活動やキャリアデザインの場面で定番の「 自己分析 」に対するの違和感を吐露し、 「 自己理解 」として総体的な観点で取り組むのも良いのではないかと書かせていただきました。
「 今、ここにいるあなたから、あなたの言葉で、あなたの物語を聴きたい 」。
・・・こんな思いを抱いていたという話でしたね。
今回も私が感じている思いを前回とは別の角度から書いてみます。
■ モチベーションはどこから
ビジネスの現場や就職活動で活用されるフレームワークに「 Will ・ Can ・Must 」というものがあります。
もともとは、リクルート社が自社の社員の育成や動機づけのために創り出したものらしく、それが他の企業に広まり、就職活動でも活用されるようになったとのことです。
すでにご存知の方や実際に活用されている方も沢山いらっしゃるかも知れませんね。でも、念のため、「 Will ・ Can ・Must 」がどういうものかを以下に記述させていただきます。
① Will : やりたいこと
② Can : できること
③ Must : やるべきこと
つまり、現在の自分の「やりたいこと」と「できること」と「やるべきこと」をそれぞれ文字で表現し、それらが重なる部分に着目してみようというわけです。
この三つが重なり合う部分が大きれば大きいほど、モチベーションが維持されており、そこに注力していけば仕事や活動のやりがいにもつながるとのことです。
このフレームワークの良いところは、自分の「 頭 」の中にあるモチベーションの種を言葉にして明示することで、「 思い 」をより鮮明かつ俯瞰的に見れるようになることだと思います。
私も現役の時は、採用や教育・研修の現場でこのフレームワークを随分と活用させていただきました。
そして、それは、特に企業や組織が主導(主催)する場面では、かなり機能的に活用できると思っていました。
でもね、実は、私はこのフレームワークに「 理解・共感・納得 」していながらも、少々の違和感を持ちながら活用していたことを、ここで告白いたします。(決して、このフレームワークを否定するものではないですが)
「 モチベーションは、別のところからも湧き起こるように思うのだが・・・」。
■「 自分 」が主体
あくまでも私見ですが、私が感じていた違和感をもう少し詳しく説明させていただくと、
「このフレームワークの活用に際しては、主体は誰かによって、また、その使い方によってアウトプットが大きく変わる可能性があるのでは?」
というものでした。
これには、私が当時から「 VUCA(変動が激しく、不確実で、複雑で、曖昧である)時代の到来 」を意識していたことの影響があります。( 詳細については、8月10日の投稿「 描くということ 」をぜひお読みください。)
もちろん、私が「 妄想族 」であったということも要因かとは思います。(笑)
さて、本題に戻ります。
「 主体は誰か? 」。これは、もう、もちろん「 自分 」ですよね。
ところが、人間って不思議なものです。
自分の所属する組織や従事する仕事の枠組みの中にどっぷりと浸かり、ある一定方向からの影響を受け続けていればいるほど、主体がぼやけるような現象が生じることがありました。
その現象とは、こんな感じでした。
「 Must > Can > Will 」・・・。
「 Must:やるべきこと 」に引きずられるというか、比重が大きくなるというか、無意識に優先するというか・・・。
何だか、このような捉え方をされるケースに遭遇することが、そこそこの頻度でありました。
ということで、当時の私は、以下のような解説をしてから、このフレームワークに取り組んでいただくようにしていました。
「 これ、どこから記述し始めても良いとは思いますが、できれば『 Will 』から書き始めてみてください。どうぞ、遠慮せずにたくさん書いみてください。」
「 それから『 Can 』は未来の理想に向けての取り組みを含めても良いと思います。例えば、何かができるように勉強をしているとか。」
「ああ、それと『 Must 』は本当にご自身が心から思うことを書いてくださいね。」
これにより、三つの単語は、全て、紛れもない「 I (私)」から始まるメッセージになるようにしていただきたかったのです。
特に、『 Must 』は、『 Have to 』として捉えて欲しくないと思っていました。
(『 Have to 』は客観的な拘束による義務を表す場合に使われることが多いようです。)
■もっと「 自分 」が主体で良いかも?
さて、前述の通り、今はVUCAの時代です。絶対的な正解が存在するわけではありませんし、どこかの誰かが正解を提示してくれるわけでもありません。
そう、自分で自分の想いを描いて、自分なりの「 適切な解 」を求めていく時代を私たちは生きています。
ということで、「 妄想族 」の私としては、ここで、新しい(たぶん)もしくは補完的なフレームワークを提唱したいと思います。(そんな、たいそうなものではないですが)
それが、「 Wish・ Want ・Will & Hope」です。
「そんなん、とっくの昔にわかってるこっちゃ、もう使ってるって」。
このように感じる方がいらっしゃるかもしれませんね。(その場合は、どうぞ、しれっとスルーしてやってくださいませ~)
でも、念のため、これらがどういうものかを以下に記述させていただきますね。
① Wish : 願うこと(実現不可能・可能性が低い現在、過去、未来の事象が対象)
② Want : 欲すること(ストレートな願望)
③ Will : やりたいこと(意思の反映)
④ Hope : 望むこと(実現の可能性がある現在と未来の事象が対象)
もう少し詳しく説明すると、
① たとえ実現不可能や可能性が低いような妄想に思えても、想い続けましょう。
② 臆せず、遠慮せずに、自分の願望をストレートに表現してみましょう。
③ できるかどうかは一旦横に置き、やりたいことについて意思表明しましょう。
④ それを本当に自分事として望むなら、やれるところからやってみましょう。
まあ、このフレームワークを単独で使うだけでは、いわゆる「 妄想 」や一人よがりに終始してしまうリスクがあるかもしれません。
ならば、既存のフレームワークと併用するのもありかも。
もしも、私たちが「 妄想 = ビジョン 」と肯定的に捉えることができるのなら、それは、きっと「 構想(アイデア)」として発芽し、「 企画・立案 」へと成熟し、「 実行・運用 」につながるようにも思います。
こうしていくうちに、多くの人が自分なりの「 しなやかでブレない軸 」を持って意味や意義を感じられることを「 実践 」できればいいなあ、とつくづく思います。
・・・ハイ、また、話が長くなりましたし、さらに長くなりそうですね。
ということで、今回はこの辺で、終わりにしたいと思います。
今回の話題については、私なりには、主に学生、企業や大学の職員の皆様などに向けたメッセージとして書かせていただきました。でも、これらは私生活に潤いを与え愉快にするものとして活用できるのではないかとも思っています。
またいつか機会があれば、掘り下げたり、他の話題と連動しながら、書かせていただきたいと思います。
これからも、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けていきたいと思います。
次回のテーマは未定です。
それでは、また。
ごきげんさんで。