偶然をチャンスに変える ⁈
昨日(8月4日)の投稿では、「その幸運は偶然ではないかも?」とのテーマで、私のこれまでの社会人人生(20~30代)における幸運に関するエピソードを書かせていただきました。
「28歳で営業部から総務人事部に異動した私は、根拠のない自信を持って新しい仕事に取り組むものの思わぬ壁にぶつかりました・・・」。こんな話でしたね。
今回は、その続きを書いてみます。
ああ、そうそう! 前回の投稿ではおやじの悪い癖が出ないようにと自戒しましたね。どうかご安心ください。脱「ネバーエンディング・ストーリー」を目指します。大丈夫です、大丈夫なはずです、・・・たぶん。
まあ、今から思えば当たり前のことなのですが、仕事の内容が変わり、毎日が初めての経験のオンパレード状態なのですから、そりゃ壁にぶつかるのは必然でしょうね。
その当時の私は、何を考え、どう行動したのでしょうか・・・。
■ 壁に怯え苛立つ
「コミュニケーション」を円滑に進めることが必要という点では共通していましたが、営業と採用や教育とではその質とやり方が違うと感じました。でも、当初の私は営業的なやり方を踏襲して展開しようとして壁にぶつかっていました。
決定的な違いは、対象者の人数でした。対象人数によって臨機応変に対応しなければならなかったのです。
新たな現場では、大勢の人の前で話をし、全体を見渡しながら、ぞれぞれの反応を見極めて、その瞬間に最も効果的な対応を選択していく必要がありました。(詳細は前回8月4日の投稿をご参照ください)
この違いに気づき、素直に力不足を認め、根本からやり方を変えようと決心するまでには少し時間がかかりました。それまでは、変なプライドが自分の中に残っていたのです。
相手の反応の鈍さに勝手にイライラして、機嫌の悪い時の大阪人気質が出てしまうこともありました。
思わず心の中で「こいつらアホちゃうか、なんでわからへんねん、ボケっ」( 標準語では「あなた方は呆けているのですか、 何故わからないのですか、ぼやぼやしないでくださいね」)
・・・こんな汚い言葉をつぶやいたりもしました。
怯えていたんですね・・・。認めざるを得ませんでした。
「自分が変わらなければ、相手も変わらない」
この理屈は以前から分かっていたつもりでしたが、今度こそ本気で実践してみようと思いました。
私は思い切って「やり方」の路線変更をすることにしました。
■新しい学びを得るために
「やり方」を変えるためには、新しい学びが必要でした。
幸い、人事・教育部門では「学ぶ」ことも仕事の一つだと考える文化や風土があり、私はここに目をつけました。
「セミナーに参加してきます。」と言えば、否定されることはありませんでした。なので、どうしても外せない仕事がある時以外は、なるべく社外に出てセミナーに参加したり他社や異種の方とお話しするようにしました。
結果的にこのアプローチが良かったと感じています。当時の私は、様々な人が大勢集まる場面での臨機応変な対応を求められてましたので、こうした社外の現場での学習は打って付けでした。
「ただより高いものはない」とはよく言われることですが、しばらく試しているうちに案外そうでもないと実感できたので、当時は「ただ(無料)」をフル活用していました。
もちろん活用の仕方次第ですが、専門性を追求するような場合は、しっかりと有料で学ぶのが良いとは思います。
こうして様々なセミナーに参加してていくうちに、地元の自治体が開催するセミナーにも良さそうなものがあることに気づきました。
それ以来、自治体が発行する広報誌を見て、興味が湧いたセミナーに参加するようにもなり、そこで、私にとっては思わぬ幸運との出会いがいくつも重なることになりました。
■人生の先人「賢者たち」との出会い
1996年、私が34歳の時でした。何か良いセミナーはないかと見ていたら、何やら怪しげな文字が目に入りました。
「男性セミナー」・・・!?
当時の自治体のご担当者には失礼なのですが、本当に怪しいと感じてしまったのです。(すみませんでした)
「素敵なライフスタイル見つけませんか」とのキャッチコピーがありました。主催者欄を確認すると「○○市文化振興事業団 女性センター」と記載されています。
「じょ、じょ、女性センター!?」・・・。それにしても「女性センター」が「男性セミナー」を開催・・・、どういうこと?
まさに当時の私は、「なんじゃ、こりゃ?」(大阪人なので)とつぶやいてしまいました。(標準語では「何ですか、これは?」)
しかし、好奇心旺盛な私はそれが何なのかを知りたくて、勇気を出して参加してみることにしました。
参加してみると、まあ、これが、とても刺激的で素晴らしかったのです。これ以来私は、この「女性センター」主催のセミナーのファンになり、セミナー参加を重ねていきました。
そこで、偶然にも、人生の先人「賢者たち」に出会うことになりました。その当時は、あまり実感がありませんでしたが、この出会いこそが私にとっては大きな幸運そのものでした。
・・・で、またまた、いかーん! 前回に引き続き、おやじの悪い癖がでてしまいました。
このままでは、前回に自戒したばかりの「ネバーエンディング・ストーリー」になってしまいそうです。(あくまでも、続編が永遠に続くことを回避したいとは思っています…汗)
とういうことで、今回は(も)一旦ここまでにしたいと思います。
次回は、「運命の出会いはボディーブロー(仮題)」をお届けしたいと思います。・・・たぶん。
それでは、また。
ごきげんさんで。
その幸運は偶然ではないかも?
これまでの人生で、とても幸運だったと感じることがあります。
この頃は自由な時間がそこそこあるので、回想することも多くなってきました。
時々立ち止まって過去を振り返ってみると、私のような凡人でも案外たくさんの幸運に恵まれてきたことに気づきます。
ということで、今回はおそらくたくさん遭遇したであろう幸運の記憶をたどってみることにします。
ここでは20〜30代で遭遇した「社会人にとっての幸運」と感じる出会いについて書いてみますね。
ちなみに恋バナではありません。(それは期待されていないか)
■ 異動辞令は突然に
これまで37年間お世話になった会社での初任配属は営業職で、約6年従事させていただきました。
当時の私は若さゆえか天然か、他の人より少し多めの元気と勇気があったようです。知識も知恵も能力もないのに果敢(無謀)に挑戦する、周りから見るとちょっと痛いところのある営業マン、だったかな・・・。
明るく前向き、いわゆる八方美人的なお調子者だったかもしれませんね・・・。
「これまでにない提案をして、お客様に喜んでいただきたい」。いざチャレンジだと見切発車し、実績も根拠もないのに難しい案件を受注して、納品後は案の定クレームにまみれることもしばしばでした。
それにしても社風というか当時の職場文化や風土は素晴らしかったです。年齢や経験に関わらず、未知への挑戦をする者をリスペクトするところがありました。
ですから、前向きに取り組んだ結果なら、どんなクレームを背負い込んだとしても見捨てられることはありませんでした。お客様もそのような気概をお持ちの方が沢山いらっしゃいました。
6年が経とうとした頃、突然、上司から異動を告げられました。会社員には異動はつきものですが、当時の私にとってはまさに青天の霹靂の出来事でした。
当時、私がお世話になった職場の上司、先輩、同僚はすごく優秀な方ばかりで、人間的魅力に溢れておられました。個性豊かな面々なので時々ぶつかることもあったけれど、私は間違いなく彼らをリスペクトしていました。
職場の皆さんが送別会をしてくださった際には、涙が止まりませんでした。
中途半端なまま営業職を離れることは不本意だと感じつつも、心のどこか奥底では救われたような思いを持っていたのを、いま、告白します。
■ これまでのやり方が通用しない
異動先は総務人事部で、私に与えられた仕事は人材採用と教育・研修でした。
着任時の私は大いに不安を感じながらも、一方で何だか根拠のない自信を持っていました。
幸いなことにこれまでは、悪戦苦闘しながらも何とかギリギリで営業成績をキープできました。何よりも多方面の個性豊かな方々と接点を創り、多種多様なコミュニケーションを経験してきたとの自負がありました。
実際に新しい仕事をやってみたら、これまでの経験や知識は大いに活用できたものの、それだけでは十分ではない状況があり、やがて私は壁にぶつかることになりました。
その壁の正体とは、コミュニケーションの対象者の数でした。
■ 何かが足りない
私が経験した営業では、対面者はせいぜい一人か二、三人というのが普通でした。しかし、採用活動や研修の場面での対面者は数十人から数百人になるケースがあります。これには面食らいました。
新たに経験した現場にあったもの、それは、『 目 』でした。目、目、目・・・・、とても多くの目で溢れかえっていました。好意的な目ばかりではありません。伏し目、曇り目、虚な目、尖った目・・・。
新しい業務に着任直後の私は、これら多種多様な『 目 』に対応する術をまだ持っていませんでした。
何かが足りない・・・。
不足の正体を知り、それを補うために何が必要なのか?
ここから、この『 目 』をキラキラした目に変えるための挑戦が始まることになりました。
そのために、私には新たな学びが必要でした。
あーっ、いけません。おやじの悪い癖です・・・。
このままでは、ネバーエンディング・ストーリーになってしまいそうです。(ちなみに私は、ミヒャエル・エンデの小説が好きです。関係ないか)
さて、どうやらそこに停止線があるような気がします。なので自発的かつ強制的に一旦停止です。
次回は、「偶然をチャンスに変える(仮題)」をお届けしたいと思います。・・・たぶん。
確か、かの名作映画「ネバーエンディング・ストーリー」には、いくつかの続編があるようですが、私は、ほどほどにしたいと思います。どうぞ、ご安心くださいませ。
それでは、また。
ごきげんさんで。
「自由」を満喫できるだろうか ⁉︎
定年退職後の日々は、望み通り「自由」であふれています。
現役の頃とは打って変わって、毎日余白の時間がたっぷりとあります。日々それなりにやることはありますが、切迫感の度合いが全然違います。そのため、いかにその時間を過ごすかが課題となりました。
趣味に没頭する、セカンドキャリアを充実させる、学び直しをする、あちこち出かける、断捨離する・・・、当初、様々な野望(妄想)を描いていました。
さて、その後の3ヶ月間をどんなふうに過ごしたのでしょうか? 自身の振り返りも兼ねて思いつくまま書いてみますね。
■ 自由だー! そして怠惰に・・・
待ちに待った自由の獲得に私は歓喜していました。まあ、とにかく自由です。自由、自由、自由! 開放感(解放感)に浸っていました。
・・・それにしても自由すぎます。
外圧的な縛りがないので早速の夜更かし朝寝坊、ありがちなパターン、人間の性か私の悪い癖です。心の奥底に疼く恐怖心や切迫感に気づいてはいるものの、あえて楽観的であろうと装ってもいました。
幸か不幸か、私には「やりたい(want)」ことと「やるべき(must)」ことがありました。まずはアート、そしてハローワークへの失業給付金の申請や就職活動です。
これとてボチボチと着手していくような感じで、まさしく牛歩状態でした。テレビやYouTubeの動画を漫然と見続けたり、どうしても安楽な方向に流されていました。
「これではいかん、私には夢と野望があるのだ!」と自分を奮い立たせて重い腰をあげてみるものの、すぐに「急がば回れ」をあえて誤用して腰を落ち着けたりもしてました。
なかなか自分なりのセカンドライフのリズムを掴みきれずにいて、自由な時間を手に入れても何だかしっくりこない感じの日々を過ごしていました。
■ 「やりたい」と「やるべき」の板挟み
自由に憧れて、自由を得て喜んで、自由を満喫しようと意気込んではいたものの、現実は様々な思いと想いが交錯していました。
私の心中はまるでスクランブル状態の中で、微妙な喜怒哀楽のバイオリズムを刻んでいるかのようでした。(ウザい表現)
これまでの日々はこんな感じです。ダイジェスト的に記述してみますね。
4月
まず着手したのはアートでした。私は8年ほど前から月に3回(土曜日)のペースで二つの水彩画教室に通っていて、そのうちの一つの教室の推奨公募展に毎年応募しています。
今回もゴールデンウィークの開催に合わせて、4月中には出展作品を完成させなくてはなりません。何とか搬入期限に間に合ったものの、残念ながら入賞は果たせませんでした。
入賞できなかったのは感性と技量の不足によるものですが、原因はそれだけではないと思っています。私の心の中に少なからず「やらされ感」がありました。
「やりたい(want)」を忘れて、自分が「やるべき(must)」だと思うことと、他者から「やるべき(have to)」だと言われることの間で勝手に翻弄されていたようです。
■ 「やりたい」気持ちが芽吹いてきた?
他の誰かが企画して開催してくださるイベントに乗っかったような感じで、アクティブモードになれました。
5月
高槻市(大阪府)で開催のJAZZイベントに在職時の同期の友人と二人で足を運び、一日中野外でステキな音楽に耳を傾けながら美味しいお酒を愉しみました。今年で第24回になりますが、コロナ禍の影響で2年ぶりの開催ということもあり会場は大いに盛り上がっていました。私たちは幸運にも隣に座った男女お二人と意気投合し、共にお酒を酌み交わし、その後も四人で交流させていただけるようになりました。
6月
ハローワークで失業給付金を受領するための資料作成などを始めました。離職票の入手が諸事情により遅れたこともあり、ハローワークに初めて訪問したのは6月中旬でした。その後、初回の失業認定が受理されたのは6月下旬でした。(詳細は8月2日の投稿「ハローワークに通っています」に記述しています)
中旬頃はアートのためにはインプットも大切と意気込んで、3日間で7つの美術展を観賞しました。とても疲れましたが、どの展示も目の保養と感性の涵養に役立ちました。その影響もあり、下旬からは絵を描きまくっていました。
■ 何故か突然に、再び「やるべき」モードに
暑い夏がやってきました。私の日常も熱く燃え上がるでしょうか〜⁈
・・・記述を続けます。
7月
どういう訳か断捨離の神が降臨し、家族を巻き込んで大掃除大会を開催してしまいました。快適な住まいに向けてまだまだ先は見えませんが、大量のゴミとともに段ボール14箱分の蔵書を処分できたのは大収穫でした。
8月
少し断捨離に着手できてスッキリしたのか、アウトプット欲求が出てきました。在職中にメインの人事・教育・採用の仕事以外に広報・広告業務に約10年従事していた影響もあり、何かを発信したいとの思いを持っていました。すでに2020年からインスタグラム ( kazuxy330 ) に絵画作品を投稿していましたが、いよいよブログもやってみようと思い立ちました。
私の定年退職後の日々は、だいたいこんな感じです。
改めて振り返ってみると、まだまだ新たな生活に慣れていなくて、何となくしっくりとこない日々を過ごしているように感じます。
一方で、自分の「できること(can) 」を増やして、「やりたい(want)」を「やる(will)」に変換させようとの意欲や行動が見られるようになってきていると感じています。
まだまだ、すったもんだの毎日ですが、できるだけ愉しく日々の諸事に取り組んでいきたいと想います・・・。
新たな出来事があったら、またここで書かせていただきますね。
それでは、また。
ごきげんさんで。
ハローワークに通っています
先日、ハローワークに行ってきました。現在は定期的に通っています。
何をしに ? うーん、いわゆる就職活動(相談)なのです・・・。
私にとっての初めてのハローワーク活用は、とても新鮮で興味深いものがあると感じています。私だけが世間知らずなのかもしれませんが、右往左往しながらも活用の仕方によってはとても有効な場所のような気がしています。
ということで、今回は、その体験談の一部を書かせていただきますね。
■ 定年退職し失業中、給付金を頂くために
私は今年4月に60歳で定年退職し同時に失業しました。その後、あっという間に3ヶ月余りが経過し未だ無職無収入です。思惑通り自由に時間を使えますが、一方では何と不安定なことでしょうか。自由な時間を謳歌し普段はそこそこ楽観的な私もさすがに少々不安な気持ちになる時があります。
これまで自分が、いかに会社という組織に安全安心や安定面で依存し、周りの人たちに助けられていたかがよく分かり骨身に沁みます。これからは自分のことは自分で世話しなければなりません。と言っても、早速、国の制度のお世話になっていますが・・・。
現在は雇用保険の基本手当を受給(最大150日間)しながら就職活動(相談)をしています。受給にあたっては厳格な条件があり、4週間ごとの指定日に必ずハローワークを訪問し失業認定を受ける必要があります。また、その4週の間に最低2回以上は就職活動(相談や応募)を行う必要があります。
私はつい先日に2回目の失業認定を受けたところで、すでに該当失業日数分の給付金の振り込みがありました。入金はとてもありがたく、少しはしゃいでしまいました。
で、給付金(基本手当日額)はいくら頂けるかって・・・?
ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、在職時の賃金日額によって給付率が変わりますので人それぞれです。基本手当日額には上限があり、60歳以上65歳未満の給付率のめやすは45%~80%で、賃金日額が低いほと給付率が高くなっています。在職時には「離職前の数ヶ月は多めに残業をしておいた方が良いよ」なんて声が聞こえてくることがありましたが、私はそれはしませんでした。
■ 就職活動のリアル
ところで、私の就職活動ついては、まだ相談に留まっています。なので応募には至っていません。相談については様々な担当者にご対応頂いていますが、混雑状況や担当者によって多少のムラはあるものの、全体的に親切丁寧に対応して頂いていると感じています。ある担当者は「遠慮せずにハローワークを使い倒してください。」とおっしゃってくださり、この時はとても安堵しました。
ただし、前提として、相談する側も主体的かつ誠実に活動していく必要があると感じます。相談者の姿勢や態度は担当者に共鳴していくように思いますし、当然ですが面談内容の記録は担当者間で共有されます。条件クリアのためとはいえ、おざなりになったり、いつも同じような質問や相談ばかりをするわけにもいかなさそうです。
これはあくまでも私のやり方ですが、日々の求人情報を自宅パソコンで閲覧し様々な条件設定を試しながら検索しています。相談の際には興味のある求人票を印刷し、質問やポイントを記述して担当者に見ていただくようにしています。その際には募集背景や会社や事業の特徴、仕事の詳細、応募状況などを教えていただきます。もちろん、あれやこれや質問し、こちらの意向を聞いてもらったり、アドバイスを頂いたりしています。
■ どうする ⁉︎ 、私のセカンドキャリア
「キャリアアドバイザーの資格を活かして大学生向けのキャリア支援がしたい」「仕事の経験、知識やスキルを活かして人材採用で困っている企業担当者の支援がしたい」・・・これが私の希望です。
読者の皆さんはすでにお気づきだと思いますが、これらは私のような定年退職後のシニア世代に見られるセカンドキャリア展望の特徴的傾向とのことです。私が相談窓口で上記希望をお伝えすると、「あなたと同じような展望を持たれる方は沢山います。しかし・・・」と優しい配慮を含んだ柔らか口調で理想と現実のギャップ事例を教えてくださいました。
これも教えて頂いたことですが、私の希望する仕事は、求人が出される時期がある程度決まっているとのことでした。今は時期尚早のため、そのチャンスを掴むための心構えや準備についても教えていただきました。
ちなみに、「私は、僭越ながら起業ということも視野にありますが・・・」とお伝えしたところ、「起業した時点で給付金の支給は停止されます」と優しく教えてくださいました。そりゃそうですよね、仕事につくことになるのですから。
私のセカンドキャリア、一体どうなることやら。さて、どうしていこうかしら・・・。
私の就職活動の序盤戦はこんな感じです。また、何か新たな出来事があればお伝えしていきたいと思います。
出るだけ愉快にキャリアチェンジに挑戦していきたいと思います。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、また。
ごきげんさんで。
今さら、キャリアチェンジかよ ⁉︎
私こと kazuは60歳。2022年4月に新卒入社で37年間勤めた機械メーカーを定年退職しました。再雇用を希望するかどうか、少しだけ迷いました。でも、やりたいことをやり、自由な時間を満喫したいとの思いが勝りました。
なので、今さらながらキャリアチェーンジッ! 新たな道を模索してみることにしました。
・・・で、何をやりたいの?
それなんですよね〜。ちょっと恥ずかしいのですが、思い切って告白します。笑わないでくださいね〜。実は、以下の3つのことをやりたいのです。
① ボヘミアン(自由奔放)な芸術(主に絵画制作)活動。
② 若者のキャリアデザイン支援活動。
③ 自身の仕事経験、スキル、知識、知見などを活かした活動。
「60歳にもなって平凡なおやじが何言ってるの」・・・そんな声が聞こえてきそうです。でもね、おやじにも夢があるのです。そう、私には夢があるのです。
①は、ズパリ、アートの世界で想像力と創造力を躍動させて独自の絵画制作を行うことです。こう見えても(どう見えてる?)37歳から絵を描き始めて現在も続けています。なかなか上手くはならないのですが、これを何とかひとかどのものにしたいとの野望(妄想?)があります。
②と③については、長く採用・教育・人事の仕事に従事してきたことが関係しています。また、45歳の時に一念発起して取得したキャリア デベロップメント アドバイザー(略称:CDA)の資格も活かしたいなと思っています。できたら若者(主に大学生や若手社会人)の就職活動やキャリアデザインの支援、採用活動で困っている企業担当者の支援をしていきたいと思っています。
ところで、ちょっとカッコいい事ばかり書いていますが、現在の私は無職です。ハローワーク様の厚いご支援をいただきながら新たなキャリアを形成すべく試行錯誤と悪戦苦闘をしているところです。
「おお〜っ、もう定期的に給料が入ってこないんだ〜。生活できるかな…、怖いよ〜、怖いよ〜。」・・・正直に言うと、そんな思いに襲われることもあります。でも、私は負けましぇん! そう、夢を追うのです。私には夢があるのです。(しつこい)
ということで、このブログでは、【アート】、【キャリア】、【リクルート】をメインに、様々な話題を盛り込んで、60歳からのおやじのキャリアチェンジのすったもんだや周辺の話題を、できるだけリアルかつ持続的に発信していきたいと思います。
どうか皆さま、あたたかい心で読んでやってください。また、同じような境遇にいる方や同様の課題意識をお持ちの方、キャリアの節目で試行錯誤している方と共感したり共創できれば嬉しいです。
愉快なキャリアチェンジを実現させるぞ〜!
大丈夫かな? 大丈夫だろう・・・、たぶん ⁉︎
ということで、これからもよろしくお願いいたします。