Wの時代
前回(8月14日)の投稿では、『 描くということ 』とのテーマで、自分なりの思いや考え方で、「 直感(直観)」を信じて、「 描く(えがく)」ように「無=0」から「有=1」を創造していきましょうとのお話を書かせていただきました。
「 仕事も遊びも趣味も、まず、アート思考や感覚を仕舞い込まずに、自分らしさを大切にして何かを描き始めてほしいと、強く思うのです。」
・・・こんなことを感じていたという話でしたね。
今回は、前回と似ているけれど別ジャンルの話題も提案的に編み込んで書いてみます。
■ 厚切りジェイソンを見習おう
社会人(学生)の皆さん、5W1Hを知ってますかー?!
いや、だから、何なん、いきなり・・・、知ってるけど。
そら、そうやろね。
その何(WHAT)についてなのですが、多くの社会人は、新入社員の頃にこの5つの英単語の頭文字に出会い、実際に業務遂行やコミュニケーションの現場で活用されていると思います。
あえて記述するまでもないとは思いますが、5W1Hとは、「WHEN:いつ」「WHERE:どこで」「WHO:誰が」「WHAT:何を」「WHY:なぜ」「HOW:どのように」からなります。
これって、すごく便利で、案内文書や報告書、その他の情報伝達の場面でしっかり使うと、それはもう「意思」の疎通もばっちりですね。上手く活用すれば物事がスムーズに進み、イライラ虫とも距離を置くことができます。
ただし、前回(8月14日)のテーマで記述したように、何かを主体的かつ能動的に「描こう」という時には、ちょっと物足りないような気がします。
アーティスト(絵を描く人)の端くれの私としては、ここで、ぜひとも厚切りジェイソンさんに登場してもらいたいのです。
「 Why Japanese people!?( なぜなんだ日本人!? )」
「 ミスター ジェイソン、ブラボー!」( ちなみに対象が女性の場合は「 ブラバー!」、でも、ここでは重要ではないか・・・)
そう、そうなんですよ、ジェイソンさん。現代を生きる私たちには、もっともっと「 WHY?」が必要なのですよね~。
■ WHYから始めよう
仕事でも、趣味でも、遊びでも、多くのことがそうだと思いますが、ひたすら受動的に関与しているのは何だかつまらないですよね。
自分が思い描く理想に向かって物事を運ぼうとして、周りの仲間たちと共に能動的に取り組んでいるときの方が愉快だろうと思います。
そのためには、もっと私たちは「WHY:なぜ」に注目し、光を当ててあげてほしいのです。そう、「 WHYは5Wの中で一番じゃなきゃダメなんです!(五番目だなんて・・・泣)」。
いやいや、もちろん、冷静さが必要な場合は別です。その時は、「WHEN:いつ」から始めるのが良いと思います。
私たちは日々「 冷静と情熱の間 」を行き来しながら生きていますが、情熱モードが必要な時には、やはり「 WHYから始めよ!」と声高に言いたいのです。
私は、広報・広告や人事・研修などの仕事に従事していたせいか、いささか妄想が先行するところがあります。もちろん、仕事ですから、ただの「 妄想族 」でいきがっているわけにもいかず、「妄想」を「構想」に転換していく必要がありますが。
このような仕事を「企画」というのでしょうが、その段階では、自分の中に強烈な「WHY」の存在が必要で、それを探し求めて煩悶することもしばしばでした。
ましてや、それを他者に共感してもらい、協働化しようとすると、それを明確に伝える必要が出てきます。
ところで、話は少し横道にそれますが、そのような時に、「 WHYから始めよ!」とのプレゼンに出会った時はとても興奮しました。(参考:『 優れたリーダーはどうやって行動を促すか 』サイモン・シネックのTED動画)
「 ミスター サイモン、ブラボー! 」
話を元に戻します。
『 人は誰でも「WHY」を持っています。それは情熱や、インスピレーションの源となる奥深くに眠っている存在意義ともいえます。自分の「WHY」を見つければ、誰もがやる気いっぱいの気持ちで朝目覚め、1日の終わりに仕事の充実感で眠りにつく、そんな人生を送ることができるでしょう。(サイモン・シネック)
そう、そうなんだ、いますぐ、WHYから始めよう!
・・・。
■ ダブル W も仲間に入れて
冒頭で記述した5W1Hについて、こうして「WHY」に注目しだすと、どうしても、そのWHYをもっと丁寧に扱ってほしいとの思いが募ります。
あくまでも私見ですが、例のダブル Wも仲間に入れてあげて欲しいのです。もちろん、まずは「WHY」の傘下でも構いません。
で、そのダブル Wとは、例の(何の?)「WANT:したい」と「WILL:する」です。「 私は・・・したい 」、だから「 私は・・・する 」、それが「 私のWHYです 」。
やはり、これを伝えたいですし、聞いてほしいものです。
少々乱暴かもしれませんが、こんな感じでしょうか。
「 WHY = WANT + WILL 」・・・!?。
そこから、共感と協働の物語が始まるのだと思います。私たちは、そんな物語を想像したり、物語の創造に参加できた時に、なんとも言えない幸せを感じるのだろうと思います。
いよいよ、新Wの時代の到来だ!・・・。
あー、またまた、話が長くなりそうですね。これについては、8月10日投稿の『「間」にあるものの価値』も併せてお読みくださいませ。
ということで、今回はこの辺で、終わりにしたいと思います。
今回の話題については、またいつか、掘り下げたり、他の話題と連動しながら、書かせていただきたいと思います。
これからも、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けていきたいと思います。
次回のテーマは未定です。
描くということ
前回(8月10日)の投稿では、『「 間 」にあるものの価値 』とのテーマで、採用活動の経験を重ねるうちに、相手と自分という「対」の関係以外の何かに着目することに気づいたとのお話を書かせていただきました。
「マッチングを望む私たち(学生と採用担当者)は、その関係の間にある、様々な目に見えにくいものや見えないものにも意識を向けながら臨む必要があるようだ」
・・・こんなことを感じていたという話でしたね。
今回は、一部に前回の流れを汲みながら別のジャンルの話題も編み込んで書いてみます。
■ 「えがく」のか「かく」のか
本ブログのプロフィール欄にも記載している通り、私は「描」という文字が好きです。
あくまでも私見ですが、「描」という字からは、「自分の手で土を耕し、苗を植え、愛しみながら育てる」というような情景を想像させられます。
私は、「絵を描く」ことが大好きで、その四つの文字を見たり書いたりするだけでもワクワクします。(よろしければ、インスタグラム【 kazuxy330 】をご笑覧ください)
ところで、絵を描いている時には、同時に「描く(えがく)」という思考や想像が行われています。「思い(想い)描く」という行為に突き動かされて絵筆やペンを握っているようなところがあります。
それにしても日本語は面白いですね。
漢字の「描く」を「かく」と「えがく」のどちらで読むか、それによって意味が大きく違ってきます。
「描く(えがく)」は、「物の姿や形を絵や図にして表現すること」「姿やイメージを想像すること」「思いや考えを文章や音楽などで表現すること」などの意味として使われることが多いようです。
「描く(かく)」の場合は、わりとシンプルで「絵や模様や図形などをかいて示すこと」を意味するようです。
画家は「描く(えがく)」ことを通じて様々な何かを描写したり表現し、それらを生業や生きがいとしています。同時に、見えない思いや感情、情景などを想像して描くことも活動に含まれているのだと思います。
アマチュア画家としての私の場合は、「描く(えがく)」に重きを置き、それが「描く(かく)」という行為を通じて表現できたと実感できる時に大きな悦びとか達成感を感じます。
その時には、少なからず「自分の手で土を耕し、苗を植えているような」感覚があります。そして、耕し方や植え方は自由に選択できますし、そこに愉しさと難しさがあります。
■「見る」と「観る」・・・どっち?
絵は「みて」くださる方がいらっしゃるからこそ輝きます。
絵をどのように「みてもらえるか」については、それはもう、画家の感性や技量次第だと思います。
そして、その「みかた」については、正解がある訳ではありません。多種多様で自由で良いと思います。
あくまでも私のイメージですが、「見る」というのは、何だか、無意識的であっさりとしている感じがします。一方「観る」は、何か意図的に目を向けて、形や様子、背景などを探ったり察するような雰囲気があります。
例えばテレビでも、何気なく「見る」ときもあれば、観察するように「観る」時がありますね。
ほとんどの画家は「自分の描いた絵」に対しては、できれば、「見る」というよりは「観る」ように接してもらいたいと望んでいると思います。
やはり、絵は「観賞」してもらいたいですし、「観賞」に値し、促進するような絵を描きたいと私も切望しています。
あれやこれやと拙い持論を展開してしまいましたが、結局、絵の世界は「みる」も「かく」も「えがく」もそのあり方は自由だ~。
■ 正解のトレースは限界かも
ところで私は60歳。これまでは会社に所属し仕事を37年間続けてきました。
当時のビジネス現場では長く、論理的思考(ロジカルシンキング)や批判的思考(クリティカルシンキング)が重要視されてきました。
物事を体系的に整理して筋道をを立てて考えたり(論理的思考)、物事を鵜呑みにせず批判的かつ本質的に捉え判断する(批判的思考)ことが大切だというわけですね。
その通りだと思います。今もそうですが、これらの思考方法を身につけておくことは、とても大切で必要なことだと感じますし、当時はその習得と活用に励んだ記憶があります。
振り返ってみれば、自覚はなかったですが、学校でも学習を通じてそれらの思考を活用することを要求されてきたことでしょう。
社会人になってからは、専門的とは言わないまでも両方の思考を駆使した方が、仕事がうまく行くことが多かったように感じます。
ただ、あえて批判的(クリティカル)に捉えて言うのなら、正解もしくは正解らしきものがあり、そのための道筋もあり、それを上手くたどる(トレースする)ことで、成果や評価を得られた時代ではそうだったように思います。
繰り返しますが、論理的思考や批判的思考は今も必要だとは思っています。ただ、その必要性は、そもそもというか、ベースとして必要なものとの理解です。
■ 正解なき時代を生きる
この頃の世情は、VUCA(ブーカ)と表現される特徴が続いているように感じます。
簡単に説明するとVUCAとは「変化が激しく、先行きが不透明で、将来の予測が困難で、曖昧な状態や状況」という感じでしょうか。
この言葉は、元々1990年代に米国で軍事用語として活用された言葉で、以下の四つの単語の頭文字からなる造語です。
・V(Volatility:変動性)
・U(Uncertainty:不確実性)
・C(Complexity:複雑性)
・A(Ambiguity:曖昧性)
このような状況では、絶対的な正解はなく、どこかの誰かが解答を明示してくれることもありません。
自分(たち)で、その時々に整合する「適切解」を導き出すというか、創造していく必要があるのだと思います。
アーティストの端くれとしては、そこで「いざ、アート思考の出番」と主張したくなります。
ちょっと説明が難しいのですが、アート思考とは、文字通り「アーティストが作品を生み出す過程における考え方というか、思考プロセス」のことを指します。
つまり、冒頭で記述したような「描く(えがく)」というか、自分なりの思いや考え方で「無=0」から「有=1」を創造していくようなものでしょうか。
いわば、「直感(直観)」ですね。
私としては、VUCA時代だからこそ、「サラリーマンよアーティストたれ」「自分の直感(直観)を信じよ!」と声を大にして言及したいのです。
■ 直感と論理の間にあるもの
「芸術は爆発だ!」で有名な岡本太郎画伯は、その独自の想像性と創造性を爆発させて、「無(0)」から数々の奇想天外な「有(1)」を輩出されました。また絵や造形物以外にも、私たちを勇気づけてくれる名言を残してくださいました。
ちなみに、私は太郎画伯を敬愛していますが、その画伯の「下手でも自分自身の歌を歌えばいいんだ」という言葉に、いつも励まされています。
ただし、大画家のような「直感(直観)」だけでは物事が偏りすぎたり、根拠が無さすぎる傾向も出てくるので、特にビジネスの世界では、デザイン思考が必要でその活用が有効になってきているようにも思います。
どうやら、デザイン思考とは、直感(アート思考)と論理(論理と批判的思考)をつなぐ思考法のようです。
「それはただの妄想に過ぎない、きちんと化学的な根拠を示せ」と締め付けないでくださいね、ちゃんとわかりやすくデザインして成果を出せるように示しますから・・・。
こんな感じでしょうか?
ということで、現代の学生や社会人は、時と場合に応じて、様々な思考を駆使していく必要があるようです。
ただ、アーティストとしては、仕事も遊びも趣味も、まず、アート思考や感覚を仕舞い込まずに、自分らしさを大切にして何かを描き始めてしてほしいと、強く思うのです。
そうだ、今こそ、様々なシーンでアートを取り入れよう!
「・・・もうええって!」
「そうでっか・・・」
それでは、今回はこの辺で、終わりにしたいと思います。
今回の話題については、またいつか、掘り下げて書かせていただきたいと思います。
これからも、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けていきたいと思います。
次回のテーマは未定です。
Art、Career、Recruit、その他のいずれかの話題をお届けしたいと思います。・・・たぶん。
それでは、また。
ごきげんさんで。
「 間 」にあるものの価値
前回(8月9日)の投稿では、「人生の半ばで人生を考える」とのテーマで、書くことや林住期(りんじゅうき)との出会いを通じて自分の人生を考えたエピソードを書かせていただきました。
当時30代の私は、読書好きも影響してか、若いのに老成しているような一面がありました。なので、かなり先を急ぎ過ぎて、林住期(人生後半の理想的なあり方)に憧れていました。
「その最中でなくても、現在ある、仕事・家庭・地域・社会という四軸において、少しでも良いから林住期のような時間をつくれば良い・・・」
・・・こんなことを感じていたという話でしたね。
ところで今回は話題を変えて、「リクルート」について書いてみます。
■ そもそも、「リクルート」って
「リクルート」・・・。
この言葉を聞くと、私と同世代の方は、リクルート社(当時の社名)が1988年に引き起こした、あの戦後最大級の疑獄(贈収賄)事件ともいわれたリクルート事件をイメージされるかもしれませんね。
衝撃的な事件で、テレビなどでも盛んに報道されていたので記憶に残っています。
・・・って、ちゃう、ちゃう(違う、違う)
私の書きたいことは、こういうことではないのです・・・。
そう、今や通称となっている「リクルート」についてなのです。
ちなみに「リクルート」という言葉の意味合いには二種類あり、対極的な使われ方をしています。
それは、英語のrecruitの原義である「新人を募集する」と、そこから派生した「新入社員になるための活動をする」という意味合いです。
企業などが使う場合は「リクルートする」、一方、学生など応募者が使う場合は「リクルート活動をする」というふうに表現が異なります。
一つの外来語の言葉の意味から派生させて柔軟な表現を生み出すなんて、改めて日本人の発想や応用力はすごいな~。
・・・話を戻します。
■ 膨大な数の人と会っていた
前回の投稿でも書きましたが、現役時代の私は、約20年ほど現場の最前線で人事系の仕事に従事させていただきました。
人事、教育、採用など様々な仕事を経験しましたが、その中でも、採用活動の比重は非常に大きいものがありました。
採用活動には、新卒採用とキャリア採用があります。私には両方の従事経験があり、それらの仕事を通うじて膨大な数の応募者とその候補者にお会いさせていただきました。
正確にカウントしたわけではありませんが、お会いした人数は、おそらく、数千人、いや数万人・・・。(たぶん)
私が採用担当だった頃の採用人数は、新卒の場合で毎年50人~100人前後でした。キャリア採用を含めると人数はさらに増えます。
私の場合、新卒採用活動に充当した期間(じかん)の方が圧倒的に多かったです。
新卒採用の際には、企業は採用予定人数よりかなり多めの母集団(採用候補者)を形成するのが通例です。企業の戦略や戦術などによって異なりますが、そのために、セミナーやインターンシップ、面談や面接などを繰り返し実施していきます。
幸いにも、私はずっと現場の最前線で仕事をさせていただくことができました。
それらの機会を通じてお会いしたたくさんの学生様(リクルート活動をする人)や関係者の皆様、そして彼らと共に紡いだ数々のエピソードは今でも私の宝物です。
会社での働き方やキャリア形成の仕方は人それぞれですが、新入社員から定年までそのような立場で役割を遂行できたことは、まさに私の望み通りでした。
■ マッチングの世界観
企業と応募者とが織りなす「リクルート活動」って、つくづく面白いものだと感じます。
最近の表現だと「マッチング」ということになるのでしょうか・・・。お互いが素敵な出会いと理想のゴールを求めて、あの手この手を使って、近づいたり離れたりを繰り返しながら活動していきます。
そこに関係者(利害関係者)が介入してくると、さらに愉快な様相というか展開になってきます。
まるで、恋のかけひきをしているかのよう・・・。
「きっしょ!(気色悪い!)」。
ごめんなさいね~。まあ、60代の髭面のおやじが恋愛を語るのは、それはもう気色悪いと思います。(自分でも皆様と同感です)
しかーし、おそらくですが、「リクルート活動」の最中には、恋愛の世界観と同じような感覚が、かなり、いや、確実に宿っていると思います! 恋愛は二人で繰り広げられる世界ですが、時に三角関係、いやそれ以上の関係として、もつれることもありますしね!(力説するほどのことでもないか)
ところで突然ですが、三角関係という言葉を使った直後に言及するとイメージが悪いかもしれませんが、私は「3」という数字が好きです。(何を言い出す?)
数秘術では、「3」は宇宙のあらゆる三位一体を表し、ボディー、マインド、スピリットという3つの要素であり、創造、破壊、安定の3つのエネルギーだとか・・・。
まあ、私の誕生日が「3」が並ぶ3月30日だということも関連しているかもしれませんね。ちなみに、あのスペインの大画家ゴヤ様と、炎の人ゴッホ様と同じ誕生日です(うれしーい、光栄です)。他に、千原ジュニア様とか、セリーヌ・ディオン様とか・・・。
日本では「三方良し」という近江商人が生み出した素敵な考え方もありますし、とにかく、「3」という数字が好きで、何かしら、そこに意味を感じるのです。
ということで、私は仕事の実践を通じて採用活動や採用ブランディングなどについての知識を学び、技術を習得し、経験を積み重ねていくうちに、やがて「3」を強く意識するようになりました。それは、他の仕事や生活の場面にも派生していきました。
■「間」を見つめ感じること
一方で、日本語には、「対義」や「対極」とか、「対」のつく言葉がたくさんありますね。
他にも、「対戦」「対面」「対談」「対話」「対象」「絶対」「一対」・・・。書き出せばキリがないと思えるほどの言葉があります。
「対(たい)」は、向かいあったり、相手になったり、返事をしたりする際の表現として、「対(つい)」の場合は、二つ揃ってひと組になっているもの、ペアなどの状態を表現する場合に使われますね。
あっ、またまた話を元に戻します。
採用活動は一見して「対」の活動ばかりのように見えますが、意識して観察してみると、案外そうでもないことに、私は経験するにつれ気づきだしたのです。
ここでも、「3」の要素が入れる余地があるのではないか・・・。
「マッチングを望む私たち(学生と採用担当者)は、その関係の間にある、様々な目に見えにくいものや見えないものにも意識を向けながら臨む必要があるようだ」。
それこそ、空間や時間的な意味の「間(ま)」や「間(あいだ)」を想像したり、時に創造したりするような感覚がいるのかな・・・なんて感じていたのです。
「相対」の現場にいる私たちは、何と言っても「間」を重んじて・・・・、
分かってますって! 話があちこちに散らばってきましたね。
ということで、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。
ところで、お陰様で初投稿から10日連続で投稿させていただくことができました。
これもひとえに、想像上の読者の皆様をはじめ、背中を押してくださる見えない誰かや何かのお陰だと深く感謝しております。誠にありがとうございます。
節目を過度に意識するわけではなく、現役の頃のように目標管理を強く意識するわけでもありませんが、「とりあえずは10回くらいは続けたいな・・・」と漠然と思っていたので、ちょっと嬉しいです。
これからは(これからも)、あまり気負わずに、ボチボチと投稿を続けていきたいと思います。
次回のテーマは未定です。
Art、Career、Recruit、その他のいずれかの話題をお届けしたいと思います。・・・たぶん。
それでは、また。
ごきげんさんで。
人生の半ばで人生を考える
前回(8月8日)の投稿では、「アートの神様が降臨!?」とのテーマで、私がアート(お絵描き)に傾倒していく経緯について書かせていただきました。
当時37歳の私は、自治体のセミナー参加から派生した市民サークルでの「井戸端会議のようなコミュニケーション」を、自分の住む地域でもやってみたいとの思いがありました。
「何とかしなくてはと焦った私は、まず子供たちを手なづけようと考えました。何か効果的な手段はないかと思案したあげくの果てに選択したのが、何故か家の前で絵を描くことでした」
・・・こんな話でしたね。
さて、今回はその当時の私に大きな影響を及ぼした出会いについて書いてみます。
■ 転機と節目の間
話が前後しますが、私は28歳で経験した会社での人事異動(営業から人事へ)をきっかけに、30代から職場や家庭以外の居場所(サードプレイス)を求めて視野と行動の範囲を広げていきました。
その結果、60歳の今も続けている「絵を描いて表現する」との趣味を37歳で持つに至りました。
後から振り返ってみると、私は20代後半から30代で様々なことを考えて行動していました。その結果、市民サークルや趣味以外に、新たな方向へと人生の舵を切るような思想や哲学に出会ったりもしています。
ある意味、私にとっては37歳が人生の節目へと向かう転換期だったのかもしれません。
その時期、会社では「人事・教育・採用」と「広報・広告」の仕事を5~6年間隔で循環するように部内異動をしていました。
結局、仕事では29歳から定年まで、同様の部内異動の循環を繰り返し、通算で人事系を20年、広報系を10年ほど経験させていただきました。
何だか、転機と節目との間で変化の渦に揉まれていたような感じでした。
■ 「書く」ことに向き合った日々
人事系と広報系、それぞれの職種の仕事内容は大きく異なります。
一方で、いずれの仕事もコミュニケーションの質と量のあり方が大切との共通点がありました。それは初任配属から約6年経験した営業職も同様でしたが、人事系や広報系の仕事と比べ、特に質が違っていました。
人事系と広報系の仕事では、コミュニケーションの主体は「書いて広く発信する」ということがベースになっていました。そのため、この期間は様々な「書く」という仕事に従事させていただきました。
仕事以外でも公に向けて「書く」という機会に恵まれ、ある同人誌(1999年4月号)に寄稿させていただいたこともありました。市民サークルの参加者から熱心に勧められたのがきっかけでした。
「書く」ことは仕事でも経験していましたし、何だがその時は好奇心もあり、試しに書いてみることにしました。(不遜な表現、ごめんなさい)
で、何を書いたか?
これが、また、若気の至りというか、妄想癖というか、今から振り返ると恥ずかしいのですが、割と真面目に思想的なことを書いたのです。『あー、恥ずかしい・・・(心の声)』。
でも、勇気を持って、あえて自分の恥を晒します。『いや~、やめてー(心の叫び)』。
■ 林住期に憧れて
私が選択した寄稿のテーマは「ボク37歳」。
寄稿文の論旨は、「37歳の私は、一刻も早く林住期のような環境に身を置きたい」というものでした。
「林住期(りんじゅうき)」?・・・。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、「何じゃ、そりゃ?(何、それ?)」とつぶやいた方もおられると思いますので、解説させていただきますね。
当時は、休日には図書館に行っては貸出上限数分の本を借りるということが、半ば習慣になっていました。
そこで、ある本を読んでいて出会ったのが「林住期」という言葉でした。
その本によると、古代インドでは人生を四つの時期に分けて考えており、それを「四住期(しじゅうき)」と言ったそうです。
それは、「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、そして、「林住期」と「遊行期(ゆぎょうき)」のことで、概要は以下の通りです。
学生期(0歳~成人):この世に生まれて勉強をする期間。
家住期(成人~40代半ば):仕事、家庭、子育ての期間。
林住期(40代半ば~60代半ば):ひとり静かに自分の人生を考える期間。
遊行期(60代半ば~):余生として教えを伝えまわり、死の準備をする期間。
私が憧れた「林住期」とは、現代に置き換えると、会社務めを終えたあと、自分の人生を考え、新たな道を歩む時期のこと。つまり、「第三期の人生」であり、ゴールデンタイム」のことを指しているのです。
■ いま「林住期」を生きる
私は、30代半ばにこの人生哲学(思想)に出会い、「林住期」を生きることを夢想していました。
後になって、幻冬社から五木寛之氏の著書「林住期」(2007年2月)が発行された時は、すぐに購入して精読しました。(同書は2008年9月に文庫化されました)
当時は30代の私が、「林住期」を生きることは妄想にすぎませんでした。当然ですが、現在と同時に未来を生きることはできないからです。
それでもなお、「林住期」への憧れは強くなるばかりなので、このように考えることにしました。
「その最中でなくても、現在の仕事・家庭・地域・社会という四軸において、少しでも良いから林住期のような時間をつくれば良い・・・」。そして、「日々、自分との小さな約束を守り、自分が本心から愉しいと感じることに忠実に行動し続けよう」。
勇気を持って行動することで、徐々に自分の考えや行動に意味と喜びを感じるようになっていきました。
こんな出会いがありましたとさ・・・。
はい、解っています。今回も話が長くなりそうですね。
それでは、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。
次回のテーマは未定です。Art、Career、Recruit、その他のいずれかの話題をお届けしたいと思います。・・・たぶん。
それでは、また。
ごきげんさんで。
アートの神様が降臨!?
前回(8月7日)の投稿では、「素敵なキャリアデザイン」とのテーマで、キャリアの理論について書かせていただきました。
『中でも、特に惹きつけられたのが、「Planed Happenstance 理論」でした。直訳すると「計画的偶然性理論」で、意訳すると「計画された偶然理論」というところでしょうか』。
・・・こんな話でしたね。
さて、今回は、少し趣を変えて、私が大好きなART(お絵描き)について書いてみます。
■ ある画家との出会い
私が、絵を描き始めたのは37歳の頃でした。
きっかけは、ある画家との出会いでした。当時、私は、地元で仲間と開設した井戸端会議のサークルに参加していました。(詳細は、2022年8月日の投稿「運命の出会いはボディブロー」をお読みください)
プロ画家のN先生が、ある時から私たちの会に参加してくださるようになりました。先生のお話をお伺いするうちに、私は絵に興味を持つようになりました。
幸運なことに、先生が絵を描いておられる様子を間近で見せていただいたり、何度か先生の個展に私を運ぶうちにさらに関心が増しました。後に、N先生がある小学校で特別授業をされるのを見学した際には、N先生と子供たちが共鳴する姿に感動しました。
こうして徐々に私の中の絵心がくすぐられていきました。思い起こせば、中学生の頃に、広告の裏紙や教科書やノートの余白によく落書きをしていたような記憶があります。しかし、この時点ではまだ絵心に火がついたわけではなく、わずかに火種が燻っている程度のものでした。
当時の私は、絵の本や画集を参考にしながら独学でらくがき程度の絵をひっそりと描いていました。
自分は技術や理論などを持ち合わせていないし、下手くそだし、人に見られるのは恥ずかしいし・・・。
そんな思いに心が占領されていたように思います。・・・内心では少し目立ちたい気持ちもあったくせにね。(オトメ心ならぬオヤジ心?)
■ 絵心は下心で開花する?
ところが、やがて思わぬ形で私の絵心に火がつくことになりました。
ちょうどその頃、私たち家族は30区画ほどの新興住宅地に引っ越してきたばかりでした。その頃の私は、井戸端会議サークルでの心地よさに感化されていたのか、できればご近所の皆さんともそのような関係を築きたいと思っていました。
各家庭の子供たちやお母さん同士はすぐに親しくなり、やがて、そこかしこでお遊び大会と井戸端会議の輪が広がっていきました。しかし、そこにお父さんたちの姿は見当たりませんでした。もちろん、私も蚊帳の外・・・。
・・・うらやましかった。とても、うらやましかったのです。
しばらくして私は、その輪に入るために思い切って動き始めることにしました。休日になると、特別の用もないのに、わざと妻と子供にくっついて外に出るようにしてみました。
しかし、なかなか思うようには輪に入っていけませんでした。
「簡単なことなのに、何をたいそうに」と言われそうですが、若気の至りか下心か、妙に照れてしまい、挨拶するのが精一杯で後が続きません。
何とかしなくてはと焦った私は、まず子供たちを手なづけようと考えました。
何か効果的な手段はないかと思案したあげくの果てに選択したのが、何故か家の前で絵を描くことでした。
■おっさんアイドルの誕生!?
こう見えても(だから、どう見えてる?)シャイな男ですから、恥ずかしいなとは思っていました。ところが思い切ってやってみたら、これが意外にも効果テキメン。
家の前で絵を描いていると、たちまち近所の子供たちが群がってくるではありませんか。誰も言ってはくれませんでしたが、【おっさんアイドル】の誕生です。(違うか)
「何言うてんねん、気のせいやって、そんなことあるかいな。何ええように言うとんねん」。
こんな声があったかなかったか、しかし、そんなことには構っている場合ではありません。
私には夢(下心)があるのです。ここは「チャーンス!」とばかりに、あとは調子に乗って、日毎、水彩画の道具を持ち出してはお絵描きパフォーマンスを展開しました。
やがて、子供たちの安全を確かめるためか、一部のお母様方がお子さんの後を追ってくるようになり、少しずつまともな会話ができるようになってきました。
さらに幸運なことに、会話して下さった皆さんはとても褒め上手な方ばかりでした。気分が良くなって舞い上がった私は、やがて、褒められたいがために頻繁に絵筆をとるようになっていきました。
恐るべしは「承認欲求」。後には別の欲求も芽生えだし、今日も私は絵筆やペンを持って、ウキウキ、ワクワクしながら真っ白な紙に向かっているのです。
めでたし、めでたし・・・。
「なんじゃ、そりゃ?」
(久しぶりに訳すと「なに、それ?」)
はい、気づいています。いつものことです。またまた話が長くなりそうです。
それでは、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。
次回のテーマは未定です。Art、Career、Recruit、その他のいずれかの話題をお届けしたいと思います。・・・たぶん。
それでは、また。
ごきげんさんで。
素敵なキャリアデザイン論
前回(8月6日)の投稿では、「運命の出会いはボディブロー」とのテーマで、自治体のセミナーへの参加を通じた人生の先輩や賢人たちとの出会いについて書かせていただきました。
「Eさんが私に声をかけてくださったことがきっかけで、その後、Eさんと私は他の三人の仲間と五人で、井戸端会議を標榜する分科会を立ち上げることになりました」。
・・・こんな話でしたね。
さて、今回は、時系列から少し外れて、私の好きなキャリアデザイン論の話題を中心に書いてみます。
■キャリア論との出会い
初回の投稿(8月1日)に書いている通り、私は、45歳の時にキャリア・ディベロップメント・アドバイザーの資格を取得しました。(その後、キャリアコンサルタント資格も取得)
養成講座では、素晴らしい講師や仲間たちに出会い、彼らと共に愉快に学ぶことができました。(この期間のエピソードはいつか投稿したいと思います)
そこで、人以外に出会ったのが、キャリアデザイン論でした。いくつかの基幹となるデザイン論について学びました。どれも、私には一見して理屈っぽいところがあるように感じましたが、学ぶにつれ興味が深まっていきました。
中でも、特に惹きつけられたのが、「Planned Happenstance 理論」でした。直訳すると「計画的偶然性理論」で、意訳すると「計画された偶然理論」というところでしょうか。アメリカの心理学者でスタンフォード大学の、ジョン・クランボルツ教授(1928-2019年)の理論でした。
・・・・?
「偶然を計画する・・・って、何言ってるの、この おばさん 」(すみません)と、なんだか眉唾のように感じ最初はとても疑心暗鬼でした。
でも、知れば知るほど、興味関心のツボが開発されていきました。同様に感じる人も多いらしく、この理論はかなり有名でファンが多いことを後から知りました。
そして、クランボルツ先生が男性であることを知るのは、少し後になってからでした。
それにしても、「偶然を計画するって・・・、おもろいここと考えるなあ、このおっさん」(再びすみません)
■キャリアって、デザインするのでは?
「物事はあらかじめ入念に計画を立てて、明確な目標を定めて取り組みなさい」。私(たち)は、学校でも、会社でも、時に家庭でも、このように指導されてきたように記憶しています。
なのに、このおっさん、いや、クランボルツ先生は、「キャリアは偶然によって形成される」とのたまう、あっ、おっしゃるではありませんか。
学びを深めていくうちに段々と、先生が教授されようとしていることがわかるような気がしてきました。先生は科学的データというか根拠も提示されていました。
理論の概要はこんな感じです。
偶然の出来事の影響を無視したり、過小評価したりするよりは、それらの持つ重要な役割を認識、利用し、またそれらを積極的に生み出すことが大切である。つまり、「偶然の出来事は人のキャリアに大きな影響を及ぼし、かつ望ましいものである」と主張したのです。そして、予期せぬ出来事をキャリアの機会ととらえることができた時、その出来事をプランド・ハップンスタンス」と名付けたのです。
(出典:「キャリアカウンセラー養成講座テキスト②」 日本マンパワー刊)
「素晴らしい~、ブラボー!」、先生、いま私は「偶然」を過大評価していまーす!
ちなみに、この理論は、クランボルツ(Krumboltz,J.D)先生だけではなく、ミッチェル(Mitchell,K.)氏、レヴィン(Levin,A.)氏らとともに発表されたそうです。
ところで、ミッチェル氏とレヴィン氏は、・・・、この人たちのことは、ほとんど知らないので、話を元に戻します。
■ 偶然を計画化する!?
クランボルツ先生は、さらに論を展開します。この「偶然の出来事」を「プランド・ハップンスタンス」に変えるには、次の5つのスキルが重要だと提唱されたのです。
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好奇心:Curiosity 新しい学びの機会を模索せよ。
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持続性:Persistence 失敗に負けずに努力し続けよ。
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柔軟性:Flexibility 姿勢や状況を変えよ。
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楽観性:Optimism 新しい機会は必ずやってきて、それを自分のものにすることができると考えよ。
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冒険心:Risk-taking 結果がどうなるか見えない場合でも行動を起こせ。
(出典:「キャリアカウンセラー養成講座テキスト②」 日本マンパワー刊)
「素敵だ~、なんて素晴らしいんだ~」・・・すみません、興奮し過ぎました。
この理論はアメリカで発表されたものですが、当時(1990年代)の米国の時代背景が色濃く反映されているとのことです。それはすなわち、労働者を取り巻く仕事環境が激変しだし、仕事の内容ややり方、求められる能力などが急速に変化しだしたということです。
ここでは詳述しませんが、現在の日本の状況そのものですね。数年前から日本でもVUCAという言葉をよく見かけるようにもなりましたしね。(この話題もいつか投稿したいと思います)
私たちはもはや、「主に学生から社会人になる時に職業を選んで企業に就職すれば安泰で、終身雇用が保証されている時代に生きているわけではない」ということは、Z世代の若者を中心に当たり前の認識になっています。
だからこそ、私たちは、いくつになっても、偶然の出来事」を「プランド・ハップンスタンス」に変化させる気概や行動が必要なのかと・・・。
あーっ、またまた話が長くなりそうです。
それでは、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。
次回のテーマは未定です。Art、Career、Recruit、その他のいずれかの話題をお届けしたいと思います。・・・たぶん。
それでは、また。
ごきげんさんで。
運命の出会いはボディブロー
前回(8月5日)の投稿では、「偶然をチャンスに変える?!」とのテーマで、新しい職場での仕事のつまづきと偶然出会った新たな機会について書かせていただきました。
「様々なセミナーに参加していくうちに、地元の自治体が開催するセミナーにも良さそうなものがあることに気づきました。」
・・・こんな話でしたね。
未知の「男性セミナー」に参加することになった私がどうなっていったか、今回は、その続きを書いてみます。
■「男らしさ」から「自分らしさ」へ
私が参加した「男性セミナー」は、市の文化振興事業団の傘下にある「女性センター(注)」が主催していました。(注:現在は「男女共同参画センター」)
セミナーは3回の連続講座形式(2時間/回)で、各回一人の講師による講話と質疑応答の時間が設けられていました。
詳細は忘れてしまいましたが、各回の講師やテーマは異なるものの、受講者への「自分探し」への誘いがベースにあるように感じました。
つまり、従来の「男らしさ」の呪縛から自分を解放して、これからは新しい「自分らしさ」へと自分を開放していきましょう。
・・・こんな感じでした。
当時の私は全く知りませんでしたが、私が社外に学びと出会いの場を求めだした1990年代頃は、社会では「男らしさ」を問うムーブメントがあった頃でした。これに前後して、男女共同参画社会の実現を求めた動きも起こってきていました。
後になって色々調べてみると、「男らしさ」を問う動きは「メンズリブ運動」と呼ばれていたらしく、1970年代に隆盛した「ウーマンリブ(女性解放)運動」の影響を受けて90年代に盛り上がってきたとの時代背景があったようです。
偶然にも、私が人事異動という転機を迎えたタイミングと合致しています。
その後、私は紆余曲折がありながらも一旦立ち止まり、これまで自分のあり方やスタンスを変えようと決意し、会社や家庭以外の場所を求めて動き出しました。これもメンズリブ運動の隆盛とリンクしています。
今振り返れば、私が「男性セミナー」に参加したのは、単なる偶然ではなく必然であったかのようにも感じます。
「運命だったのかな」・・・。
「ちゃうちゃう、そんなん、あらへんやろ、ようわからんけど、ちゃうやろ」(標準語では・・・・、もう訳すのは、やめときます 笑)
いや、それにしても、運が良かったようには感じているのですが・・・。
■ 先人たちとの学び
参加者は50代以上が大半で、中には初老と思しき方もいらっしゃいました。34歳の私は完全に若造で、若い方はほとんど見当たりませんでした。
セミナーは一方的な講義に終始するのではく、途中でグループワークや発表、質疑応答などがありましした。
女性の担当者や講師はごく少数いらっしゃるけれど、周りは知らないおじさんばかり、しかも年代も職業もバラバラ・・・。入社以来の約10年間を、単一のベクトルで進むエスカレーターに乗るように過ごしてきた私にとっては衝撃的な光景でした。
参加者たちは、それぞれの年代で、それぞれの置かれた状況の中で、自分なりの素敵なライフスタイルを見つけにきておられました。
私はと言えば、まがりなりにも「自分がか変わらなければ、相手も変わらない」との理屈を本気で実践しようと思っていましたので、周りに配慮しながらも、できるだけ好意的かつ積極的に参加するようにしました。
もともと好奇心がざわついて、興味を持って参加していたこともあり、学びや気づきも多く毎回とても愉快に参加していました。
■ 賢人たちとの出会い
愉快に参加できていたこともあり各回の講座の時間はあっという間に過ぎ、いよいよ終わりを迎えようとしていました。同時に私は名残惜しさのようなものを感じていました。
そんな時、一回り上の世代のEさんに声をかけられました。その直前、Eさんはこのように思っておられたそうです。
「せっかく顔見知りになったのに、このまま皆さんにお会いできなくなるのは残念だ。こうして集まったのも何かの縁、私と同じ思いの人はきっといるはずだ」。
私にとっては僭越すぎることなのですが、こうして参加者の一人であった私に白羽の矢が立つことになりました。
Eさんが私に声をかけてくださったことがきっかけで、その後、Eさんと私は他の三人の仲間と五人で、井戸端会議を標榜する分科会を立ち上げることになりました。
ちなみに26年前に設立されたこの会は、Eさんやメンバーのご尽力もあり、会員の増減を繰り返しながら現在も活動中です。
私はこの26年間で、数々の「市井の賢人たち」と出会い、その賢人たちとの交流を通じて、まるで心地良いボディブローを浴びているかのように、多くの大切なことを学び、気づきを得ることができたと感じています。
声をかけてくださったEさんや仲間の何名かとは現在も交流があり、これらご縁をいただけたことにとても感謝しています。
近年は仕事の忙しさにかまけて会に欠席がちの私でしたが、定年退職を機に再び参加できるようになりました。
ところで、私が主に20代後半から30代にかけて経験したことが、あるキャリアデザイン論に符号していることに気付くのは、もっともっと先のことでした。
さて、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。
次回は、「素敵なキャリアデザイン論(仮題)」をお届けしたいと思います。・・・たぶん。
それでは、また。
ごきげんさんで。